同期会・同窓会ひろば

昭和62年卒同期会、やります
昭和62年卒同期会
日時 3月9日(土)15:00~
場所 海城学園カフェテリア3階
費用 3500円
※1組~10組まで全クラス対象です。
※景山・国井・横川が発起人ですが、お手伝いしてくださる方を募集しています。
参加希望の方は以下の方法でお申し込みください。
1 国井のメアド
2 国井のfacebook
3 海原会ホームページの「海原会へのご連絡・お問い合わせ」
※2月末までにご連絡お願いします。
卒業後の海城をよく知らない方へ
★昭和62年卒業時に担任してくださった先生で在職されているのは中村先生と福島羊一先生だけです。福島先生は今春で退職されます。
★カフェテリアはタヌキ親父の食堂のことではありません。体育館のあった場所にあります。
★オババは健在です。
のちほど、メアドを知っている方へはメールいたします。
以上よろしくお願いいたします。
徳光会長とラウンド/36会からの報告
36会(昭和36年卒の方の同期会)の赤石浩さんからご連絡いただきました。
同期でハワイ在住の立花さんからの報告で、徳光和夫海原会会長とゴルフをされたとのことでした。
以下立花さんからのメール抜粋
凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹
12月15日先輩とゴルフに行きました。
徳光先輩と原監督それと女子プロ大田原五月です。
凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹
抜粋終わり
スコアは徳光会長104 原監督74 立花さん84だったそうです。
回られたコースは明記されていませんでしたが、徳光会長は海原会GOLF会にて83(準備会)・92(第1回)のスコアで回る実力者ですので、ハワイ特有の島風が悩ましい難コースだったことが推測されます。そんな中での立花さんの84はご立派です。原監督は…、さすがのアスリートですね。
海城OBは世界中にいて、ふとしたことから海外で出会うこともあるようです。素敵な出会いがありましたら、海原会までぜひご報告ください。
画像上:左から徳光会長、立花さん、大田原プロ、原監督
画像下:徳光会長と立花さん
※1/16の記事に画像を追加しました。
平成14年卒 第8回学年同窓会
1月12日(土)に、毎年恒例の学年同窓会を開催致しました。今年も例年通りの人数が集まり、村上先生・井口先生を迎え、母校カフェテリアにて、近況を語り合いました。それぞれの分野で活躍する皆さんの話や新たな世界に挑戦する話が聞けて、とても刺激を受けました。
学年同窓会は、今後も毎年1月に開催予定です。皆さんお忙しいと思いますが、是非同窓生と交流を深め、昔を懐かしむと共に、お互いいい刺激を与え合いましょう!在学時にはあまり話した事がなかった人とも、意外と話が弾むものです。案内の葉書きやメールが届いていない方は、kaijo2002-owner@yahoogroups.jpまでご連絡ください。また、「海城2002年卒」というFacebookグループ(http://www.facebook.com/groups/281128995266413/)を立ち上げましたので、是非こちらにもご参加ください。
(矢野祐規 記)
昭和57年卒 4組クラス会(新年会)
去る2013年1月12日(土)に昭和57年卒4組のクラス会(新年会)が新宿で開催されました。初参加3名を含むクラスのメンバー12人に、担任の鈴木元明先生をお迎えし、中華料理の1次会から2次会、3次会と、延々と盛り上がり続けました。
会では、参加者メンバー各々から「卒業後30年」の話しがあり、皆さん苦労しながらも文科系の専門・経験を生かして幅広い領域で全世界的に活躍、あるいは自ら企業を立ち上げて社長に就任という近況の報告がありました。また、喫煙が発覚して鈴木先生が家庭訪問した話など高校時代のエピソードを思い出し語り合い、楽しいひとときを過ごしました。そして、我々がかけがえのない友人であることを再確認し、またの再会を約束してお開きとなりました。
なお、出席者は次のとおりです。次回にはまた新たなメンバーも含めて再会できればと思っています。
鈴木元明先生、内田勇太、齋藤嘉一、坂井陽爾、阪本三四郎、菅沼一郎、高城知行、高田賢治、平國志央、山口恩門、横山伸一、星野宏樹(幹事・お疲れ様でした)、杉田直孝 (敬称略)
寺崎央くん、逝く
「海城36会」の一員で、本誌でも紹介された『癌一髪』(マガジンハウス)の著者・寺崎央くんが、旧年の平成24年12月16日、その癌で逝った。69歳だった。
寺崎くんは大学卒業後、大手出版社勤務を経てフリーの編集者・ライターに転身し、『週刊平凡パンチ』を主たる舞台に活躍。『ポパイ』『ブルータス』の創刊エディターに参加した。還暦を過ぎてからも意気軒昂。既存出版界の低迷を叱咤するかのように、型破りの雑誌『オレキバ』(六曜社)の立ち上げに、中心メンバーとして加わる。
この雑誌のサイズがちょうど新聞を2つ折りにした大きさで、キャッチコピーが「いゝ大人の、えゝ大人による、えい加減の雑誌」。「オレキバ」は、片方の牙が折れた老マンモスの意で、要するに牙が折れようと年を食おうと卑屈にならず、群れに属さず堂々とやりたいことをやり、言いたいことを主張する。残念ながら資金続かず2号で消滅したが、その志、内容ともに、安全第一で挑戦をしない出版ジャーナリズムに一石を投じた。
映画、文学、写真、旅行、クルマ、ファッション、スポーツと取材対象は広く、軽妙にして洒脱な文体とともに異能ぶりを発揮する。高校時代、「オヤジが町医者だから頼んでやるよ」と、”よからぬ病”に罹った友人の窮地を救った逸話もある。彼のお世話になった人間は多いはずだ。
『癌一髪』では、癌に取りつかれた自らを客観的に観察し、楽しんでしまうという編集者魂を見せてくれた。「伝説の才人」の卒然たる死を惜しむ。合掌。
画像:『癌一髪』表紙
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。