同期会・同窓会ひろば
平成14年卒 第8回学年同窓会
1月12日(土)に、毎年恒例の学年同窓会を開催致しました。今年も例年通りの人数が集まり、村上先生・井口先生を迎え、母校カフェテリアにて、近況を語り合いました。それぞれの分野で活躍する皆さんの話や新たな世界に挑戦する話が聞けて、とても刺激を受けました。
学年同窓会は、今後も毎年1月に開催予定です。皆さんお忙しいと思いますが、是非同窓生と交流を深め、昔を懐かしむと共に、お互いいい刺激を与え合いましょう!在学時にはあまり話した事がなかった人とも、意外と話が弾むものです。案内の葉書きやメールが届いていない方は、kaijo2002-owner@yahoogroups.jpまでご連絡ください。また、「海城2002年卒」というFacebookグループ(http://www.facebook.com/groups/281128995266413/)を立ち上げましたので、是非こちらにもご参加ください。
(矢野祐規 記)
昭和57年卒 4組クラス会(新年会)
去る2013年1月12日(土)に昭和57年卒4組のクラス会(新年会)が新宿で開催されました。初参加3名を含むクラスのメンバー12人に、担任の鈴木元明先生をお迎えし、中華料理の1次会から2次会、3次会と、延々と盛り上がり続けました。
会では、参加者メンバー各々から「卒業後30年」の話しがあり、皆さん苦労しながらも文科系の専門・経験を生かして幅広い領域で全世界的に活躍、あるいは自ら企業を立ち上げて社長に就任という近況の報告がありました。また、喫煙が発覚して鈴木先生が家庭訪問した話など高校時代のエピソードを思い出し語り合い、楽しいひとときを過ごしました。そして、我々がかけがえのない友人であることを再確認し、またの再会を約束してお開きとなりました。
なお、出席者は次のとおりです。次回にはまた新たなメンバーも含めて再会できればと思っています。
鈴木元明先生、内田勇太、齋藤嘉一、坂井陽爾、阪本三四郎、菅沼一郎、高城知行、高田賢治、平國志央、山口恩門、横山伸一、星野宏樹(幹事・お疲れ様でした)、杉田直孝 (敬称略)
寺崎央くん、逝く
「海城36会」の一員で、本誌でも紹介された『癌一髪』(マガジンハウス)の著者・寺崎央くんが、旧年の平成24年12月16日、その癌で逝った。69歳だった。
寺崎くんは大学卒業後、大手出版社勤務を経てフリーの編集者・ライターに転身し、『週刊平凡パンチ』を主たる舞台に活躍。『ポパイ』『ブルータス』の創刊エディターに参加した。還暦を過ぎてからも意気軒昂。既存出版界の低迷を叱咤するかのように、型破りの雑誌『オレキバ』(六曜社)の立ち上げに、中心メンバーとして加わる。
この雑誌のサイズがちょうど新聞を2つ折りにした大きさで、キャッチコピーが「いゝ大人の、えゝ大人による、えい加減の雑誌」。「オレキバ」は、片方の牙が折れた老マンモスの意で、要するに牙が折れようと年を食おうと卑屈にならず、群れに属さず堂々とやりたいことをやり、言いたいことを主張する。残念ながら資金続かず2号で消滅したが、その志、内容ともに、安全第一で挑戦をしない出版ジャーナリズムに一石を投じた。
映画、文学、写真、旅行、クルマ、ファッション、スポーツと取材対象は広く、軽妙にして洒脱な文体とともに異能ぶりを発揮する。高校時代、「オヤジが町医者だから頼んでやるよ」と、”よからぬ病”に罹った友人の窮地を救った逸話もある。彼のお世話になった人間は多いはずだ。
『癌一髪』では、癌に取りつかれた自らを客観的に観察し、楽しんでしまうという編集者魂を見せてくれた。「伝説の才人」の卒然たる死を惜しむ。合掌。
画像:『癌一髪』表紙
昭和62年卒同期会を企画中
卒業以来かれこれ四半世紀、昭和62年卒小林組クラス会は途切れること無く開催されてきました。しかし、昨春は小林先生が急逝。お葬式が事実上のクラス会となってしまいました。
他の小林組も同様らしいですが、小林組クラス会は事実上小林先生プロデュースでした。プロデューサー不在でこれからどうしよう?と、景山くんと横川くんと年末に話し合い、生前から小林先生が望んでいた、クラス会の枠にこだわらない同期の会にしていくことに決めました。
まだ大まかなことしか決まっていません。3/9(土)か16(土)に小林組クラス会(=昭和62年同期会)を実施する予定です。情報をご希望の方は海原会ホームページの「海原会への問い合わせ・ご連絡」経由でお申し出いただくかFacebookで国井信男を探して声かけをしてください。
1月下旬までには詳細を決めて、出欠連絡をいただけるところまで整えます。ご連絡お待ちしております。
画像:平成23年の小林組クラス会2次会
36会古希を祝う集い 紅ずわい軍団
11月30日新宿東京ガス四ッ谷クラブにて同期の古希を祝う集いを49名の参加で開催致しました。今年の海原会総会で着装のお揃いショッキングピンク70マークポロシャツで集合写真を撮りましたが、ホールマネージャーから、老いを知らない紅ずわいがに、との感想を頂きました。色も姿もカニの表現に一同納得し大爆笑。遠路ハワイ・関西・東北と初の参加者3方と瞬時の二時間半でした。以下は山田36会会長挨拶内容です。
古希を祝う集い
百才の方が五万人もいる世の中です。七十才は未だ通過点です。健康を大事に人に迷惑を掛けずにいくつまでも生きましょう。でも七十才お互いに良く生き抜いた事を祝ってもいいと思います。私はボランティアで広報委員を二つやっています。一つは日本コールセンター協会、もう一つは海城学園です。コールセンター協会の方は二百社ある加盟社中から十二社ほどの会社から広報委員を集め月一回会議し、八ページの会報を出しています。これが元気の元にになるのです。新しい事を分析し取り入れていく、それをまとめ活字にする。そして海原会では徳光会長をはじめ、多くの先輩を見ています。元気な方が多く、吉岡先輩は今年から始めたゴルフの大会を97名の参加で開催しましたが参加され、エージシュート。74才の方は72でまわって優勝しました。中学では柔道、高校では野球をやったそうです。36会からは12名参加し、参加年度で最多であった事と90で10位の藤咲君の事を報告します。6月第一土曜日の総会では百一才になられた方が毎年乾杯をされています。皆様も是非、来年海原会総会にお出でください。
画像上:古希の集合写真
画像下:遠路参加者と初めての参加者
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。