クラブ・委員会ひろば
海城鉄研OB会 新年会
毎年恒例の鉄道研究会OB会の新年会が去る平成26年1月11日(土)に開催されました。今年は現鉄道研究会顧問の井口先生を始め、昭和34年卒の大先輩から平成24年卒の大学1,2年の若手まで幅広い世代の32名の皆様に参加を賜りました。
昨年11月に海原会と合同での伊豆急団体列車にご乗車されたOBの皆様も多くいらっしゃり、各々の鉄分の濃い話(鉄道話)や近況報告は例年にも増して盛り上がったかのようで、2時間はあっという間に過ぎていきました。また来年以降も多くの皆様にお会い出来るのが今から楽しみです。
なお、OB会では引き続き会員をお待ちしております。OB会参加を希望される方、お問い合わせのある方はinfo@kaijotekkenob.comまでご一報下さい。
続【吉報】岸田克二氏(S31年卒)フランス芸術院賞受賞!
岸田克二氏からメールが入り吉報の知らせが届いた。
◆盛大なセレモニー
この賞は在住外人彫刻家としての業績に与えられる賞で、institut de France・Akademi des Beaux-Arts(フランス芸術院賞)という賞です。
授賞式はパリの中心にある学士院ーinstitut de Franceーで執り行われたとの事。この行事はルイ王朝から今日まで連綿と続いている伝統行事で各界著名人の前にして行われるセレモニーです。2013年11月に盛大に祝福されたそうです。
◆岸田克二氏のプロフィール
改めて海原会名簿を探ると、31年卒の彼は出ていない。よくよく調べると不明者欄にいた。次男坊の彼は放蕩息子で自由の身で、明大に入ったりムサビ(武蔵野美大)に行ったり、芸術一途に徘徊したらしい。たまたま山口県現代彫刻展で大賞を受賞、その賞金で世界各国を渡り歩きフランスに住みついたらしい。その後は消息不明。あれから40年も経っただろうか。
暮れの12月トネヤマ・アトリエで、彼の同期の清水哲治氏(元桜美林大教授)から吉報に接した。騒ぎ始めた。
因みに彼には兄貴の岸田源蔵氏(S29年卒)がいる。兄弟海城出身で兄貴はたしか早稲田を出てパン屋を継いでいる。
◆顧みれば、思うに
利根山光人先生の「日本芸術大賞」「メキシコ文化勲章」
青葉益輝(S33年卒)の「日本グラフィックデザイン賞」「国際デザイン賞」
窪島誠一郎(S35年卒)の「無言館」「菊池寛賞」など
そして今回の岸田克二の「フランス芸術院賞」
思うに、青葉氏、窪島氏、岸田氏にしても故利根山光人の教え子だったことは間違いない。そして海城に、また一人の偉人が増えた。
写真説明
上 岸田克二氏(右端)
中 ポルトガル野外美術館に永久設置された巨大な作品
下 送られてきた年賀写真
野球部OB会新年総会
あけましておめでとうございます。
平成9年卒の宇野と申します。
初めての投稿となりますが、よろしくお願いいたします。
1月5日に、海城高校野球部OB会による新年総会が開催されました。
午前中は、現役・OBのソフトボール対抗戦にて汗を流し、午後はカフェテリアで食事をしながら旧交を温める、という運びとなりました。
参加者の大半は、平成20年卒以降の若いメンバーで、最近まで硬式球を自在に操っていた強者ばかりです。ゆえに、今回初の試みであったソフトボールでは、物足りなさなどから彼らのモチベーションに影響が出ないかと懸念しておりましたが、いらぬ心配でした。
いざゲームが始まってみると、皆真剣そのもの。
打撃面では、振りの鋭い選手が多く、ホームラン・長打も多く見られましたが、かといって、全てにおいて乱打戦であったかというとそうでもなく、抜けた!と思った鋭い打球を難なく捌いてしまうような好プレーも多く飛び出し、攻守において、大変見応えのある試合が繰り広げられました。
スペシャルゲストとして、田中政一前監督もかけつけられました。
還暦を過ぎた今も、往年のバッティング、グラブ捌きは健在で、かつての教え子たちを驚かせておりました。
現役の選手達も交えての試合でしたが、彼らにとっても、慶應大学野球部で神宮を沸かせた結城賢進選手(H7年卒)、東京大学野球部を主将として引っ張った岩崎脩平選手(H20年卒)、記憶に新しい3年前の海城高校5回戦進出時のキャプテン出口翔大選手(H23年卒)、といったスター選手の打撃・守備を間近で見られるなど、貴重な経験となったのではないかと思います。
冷え込みの厳しい中、久しぶりに体を動かすという方も多かったようですが、ケガ人を出すことなく、無事全試合を終えることができたのが何よりの成果だったと思います。
ソフトボール終了後は、カフェテリアにて総会を実施しました。
松岡OB会副会長の挨拶・乾杯の音頭により、懇親会と併せてのスタートとなりました。
多人数の参加となった若い世代のOBにとっては、同窓会も兼ねた集いの場ともなり、現役時代の話に花が咲いていたようです。
山本先生による現況報告なども交え、最後には、結城副会長の「幸せなら手を叩こう」の音頭に併せた手拍子による独特な締めにてお開きとなりました。
今回は50名近いOBの出席となりましたが、更により多くの方が参加できるよう、様々な工夫を凝らしてゆく必要があります。その中で、初の試みであったソフトボール大会の実施は、若い世代を中心に大変好評でした。
今後、開催してゆく中では、イベント性も強めながら、各世代のOBが積極的に参加できるような流れを作り出し、現役支援にも力を入れられるよう努めて行きたいと思います。
「トンカチ会」回想
「トンカチ会」の名付け親は故利根山光人先生がつけてくれました。(以下トネサンと呼ぶ) 戦後間もないころ、僕たちはトネサンの家を作るため手伝いに行きました。リヤカーを引っ張って多摩川の川っぺりへ礎石を拾い、焼跡へ行ってベニヤや材木をとって、トンカチ(金づち)をもって小屋を作ったことからトネサンが名づけてくれました。
あれから60数年!
毎年トネサンのアトリエに遊びに行きました。今でも続いています。あれから僕らも歳をとりました。あの世に行った先輩も多くなりました。
恒例により12/21アルテ・トネヤマでXmas partyがありました。92歳の利根山夫人は足腰が悪いと言いながらも健在です。40人近く集まりました。大半が奥様の教え子(奥様は某女子大の教授)で、それもお婆ちゃんばっかり。そうだろう、僕たちより若くても大差はない。中には次世代の熟女もチラホラというところです。
あれから60数年!
トネサンの教え子、海城の僕たちは僅か数人というありさま。あ~寂しい。
それでもカラ元気を出して、小堀先輩は文化祭でハダカ踊りをやって清水校長に怒鳴られた話に花が咲きました。最後にジジイになったトンカチ会の
残党?と奥様を囲んでハイ・パチリ、楽しい一夜を過ごしました。
あれから60数年!
帰途の電車で物思いにふけった。歌のセリフを思い浮かびました。
「♪ 人は思い出を残す旅人ねぇ~」
ほろ酔い気分でウトウトと・・・・・ハッと目が覚めた。乗り越してしまった。
写真
上 トンカチ会メンバー
中 熟女の怪しげなダンス
下親子のストリングス
文化祭実行委員会・生徒会OB会の新年会
新年あけましておめでとうございます.
先日,文化祭実行委員OB会の新年会を行ってきました.
例年90代~110代前半までのOBしか集まらなかったOB会新年会でしたが,
今年は118代文実の松永君が参加してくれました.
会ではお互いの近況や文実時代のこぼれ話など大いに盛り上がることが出来ました.
よく,高校・大学時代のつながりは一生のつながりになると言いますが
こうやって世代を超えて「海城」の名のもとに集まれるというのは
やはり貴重な事なんだと感じています.
特に松永君は教員(しかも海城を考えているとか)志望ということで
今後海城OBとしても,文実OBとしても在校生を影から支える
厚い層を形成してもらいたいものです.
(と,自分もその一部を担うわけですけども.)
写真上:新大久保の鳥料理店での新年会
写真下:新大久保駅前での集合写真
(中段左のマフラーを巻いているのが松永君)
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。