同期会・同窓会ひろば

あった!自分の卒業アルバム!
投稿者:広報委員会(平成2年卒)
2011年9月19日(月)

創立から120周年もたてば、卒業アルバムは膨大な量になります。最古の卒業アルバムとしては大正8年のものが実在し、以後、戦後の一時期を除き2011年までほぼすべての卒業アルバムが資料室に保管してあります。
海原会サロンでは電子化済みの卒業アルバムを個人情報に配慮した形で自由閲覧とし、原本をサロンスタッフ随伴という形で閲覧可としました。

「捨ててはないけど、実家のどこかにしまい込んでいてどこにあるやら…」
「オレ、乱暴者だったから棒倒しに出させてもらえなかったんだ!」
「あなた、おじいちゃんにそっくりじゃない?」
「痩せてる!」
「面影あるだろ?あるって言えよ!」
海原会サロン内にいろいろな声がわき上がりました。

校舎は変わってしまいましたが、母校にお立ち寄りいただければ「あのときの私」に出会うことができます。次回の海城祭ではぜひ海原会サロンにお立ち寄りください。ご家族といらしていただければ、皆様が紅顔の美少年だった事実をスタッフ一同全力で証明させていただきます。

写真上段 証拠写真捜索中
写真下段 美少年時代の自分を発見できた方々

写真:立石博巳(昭26) 国井信男(昭62)

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海原会サロンにて
投稿者:広報委員会(昭和34年卒)
2011年9月17日(土)

海原会サロンにて昭和34年卒の方々が集合。
サロンの展示をごらんになったあと、校内をひと回り。
これから新大久保某所で同期会とのことでした。

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高橋義治展 2011
投稿者:杉山紘千佳(昭和36年卒)
2011年8月23日(火)

昭和36年卒、(故)高橋義治さんの個展が、8月8日(月)~14日(日)まで、昨期に続き銀座アートホールで開催されました。

当初は那須海城で開かれる予定でしたが、東日本大震災の影響で、銀座アートホールで開催されることとなりました。1週間に渡る期間中、義治氏の芸大のときの仲間、絵描き仲間、現美大生、当校の古賀理事長、森山事務長、36会の面々が訪れました。中には作品を購入した人もいるとのことでした。

展示品は30点あまりで、版画の他、油絵も数点展示されました。写真は入口風景と来展者がくつろいでいるとこと展示会全景です。

写真・文 36年卒広報委員 杉山紘千佳

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青葉益輝を悼む
投稿者:山本 満男(昭和27年卒)
2011年7月22日(金)

 33会の石原さんから一報をいただき、すぐさま新聞で確認し訃報に接した。
7月9日 食道がんで死去。71歳、早い!
彼は近年、海城出身者としては傑出した人物の一人だと思う。

 トネさんの奥さん(故利根山光人夫人)に報告した。びっくりしていた。
≪あの子は賞を貰うたんびに、知らせに来るのよ≫
そう言えば数年前居合わせたときに、紫綬褒章内定の報告に来たことを覚えている。又、自分のポスターをアトリエに貼って帰っていたこともあった。
思い出した。トネさんの記念館、作品展の案内状、ポスターなど手掛けていたこと。彼は元海城美術教師の利根山先生に育まれたことは事実だ。

 青葉益輝ほどグラフィックデザイナーとして、世界中の「賞」を総なめにした人物はほかに居ないのではないか。朝日広告賞、毎日広告奨励賞だとか、日本宣伝賞、ニューヨーク、フランス、ワルシャワ、フィンランドなどのビエンナーレ展グランプリ。きりがない。その数20以上。

 かつてトネさんが「日本芸術大賞」の受賞理由は≪活力ある文明批評を内蔵した幅広い造形活動に対して・・・≫と言うものだった。
 青葉益輝は社会派デザイナーと呼ばれるのは、トネさんの影響を充分受けている。この感動の中身は疑いもなく、美術と社会に関わりについての開眼に他ならないだろう。彼のアイデアとウイットに富んだ、研ぎ澄まされた作品には見応えがある。

青葉益輝は母校海城に絵画作品を数点寄贈している。これらの作品は3号館(那須海城)に展示してある。そして校庭にモニュメントの制作依頼があったとか。それも未遂に終わったことが悔やまれる。彼の功績は忘れてはならない。合掌。

写真説明  上 広島市民にpeace文字をびっしり書いて平和アピール
           ご機嫌の青葉氏
        中 鉄砲の先がひん曲がってハートの形、「the end」
           戦争は終わり
        下 海城に寄贈作品、愉快な顔達が飛んだり跳ねたり
           元気で行こう

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昭和56年卒同窓会
投稿者:益田浩一郎(昭和56年卒)
2011年6月27日(月)

6月4日(土)に行なわれた海原会総会、我々は卒業30年の節目でした。
「一人で行くのもなぁ」と思っている仲間もいるだろうということで、数名で手分けをしながら声を掛け、当日新大久保駅前に揃った同期は8名。
クラスもクラブも違うという仲間もいましたが、それでも「同期のよしみ」で仲良く、懐かしの通学路を、当時を思い出しつつ母校に向かいました。
学校に着いてからは、懐かしの校舎やグランドを回る者、職員室で恩師を探し、昔話に花を咲かせる者、売店で懐かしのおばさんと対面する者など、思い思いに総会開始までの時間を過ごしました。
総会では、那須海城の被災の状況などをお聞きし、胸を痛めましたが、閉会前には福島先生の名司会の下、吹奏楽部の諸君の演奏を拝聴、最後には校歌を5番まで歌わせて頂き、このときは講堂に集ったOBがまさに一つになったような気がしました。
総会の後の懇親会では、さらに数名の同期が見つかり、再会を喜ぶとともに互いの健康や近況などを確認しあいました。
懇親会終了後、正門付近で集合写真を撮り、卒業30年の記念品と海城の思い出や懐かしい香りを胸に、有志11名で新宿にて2次会を行うこととしました。
2次会参加のメンバーを募っていたところ、急遽、草野先生も参加して下さることになりました。
草野先生は80歳を超えられた今もお元気で、感激ひとしお、既に50歳が近くなった我々ですが、多くの思い出話や先生のお言葉に、「高校生」のまま歳だけを重ねたような錯覚に陥ったひと時でした。
気持ちよく散会した後も場所を変え、更に飲み続ける者もおりましたが、30年という節目の総会に参加し、懐かしい顔に出会えて本当に良い一日となりました。
最後になりましたが、2次会に参加して下さった草野先生、また総会、懇親会を企画して下さった海原会の役員の皆様、素晴らしい演奏を聴かせて下さった吹奏楽部の後輩諸君や指導に当たられていらっしゃる先生方等々、多くの方々に心より感謝申し上げる次第です。

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