同期会・同窓会ひろば

平成21年度卒1組会
卒業から3年、ようやく全員がお酒を飲める年になり、村松先生を囲んで卒業してからのことでも語ろうか、ということでクラス会が開催されました。
新宿の居酒屋で行われた同窓会、先生と飲むときにはどうすればよいのか、ということが分からない僕らは少し緊張していましたが、お酒がすすむにつれ先生のテンションも上がり、最後にはかつての学生生活のような、男くさい盛り上がりを見せることとなりました(笑)
一次会で先生は帰ってしまいましたが、二次会には他の参加者全員でカラオケにいき、まるで昨日まで一緒に授業を受けていたかと錯覚するくらい気を置かずに楽しむことができて、やはり高校の同窓生は一生ものだなぁ、と実感しました。
今後は社会人になり、より会える時間が減ると思いますが、できるだけこのような機会を設けて、お互いのことについて語り合えたらと思います。
同級生、本を出版
私と同級生である呉座勇一君(4組)が、この度本を出版しました。去る9月26日(水)に洋泉社から発売された『一揆の原理―日本中世の一揆から現代のSNSまで』です。
私も買って読みましたが、これまでの一揆のイメージが改められるとともに、現代のSNSと一揆を結び付けて論じている点が、新鮮であると感じました。
本書については、学研パブリッシングから隔月で発行されている『歴史群像』(※)という雑誌(2012年12月号、11月6日発売)にインタビュー記事が掲載されました(写真上)。
また、去る11月7日(水)付の日本経済新聞夕刊「エンジョイ読書」にも書評が掲載されており、高評価を得ております(写真下)。
もし興味を持たれた方は、書店にてこの著書を手に取ってご覧いただき、お買い上げいただければ幸いです。
(※)1992年6月に創刊。当初は「人物・戦い・事件」の検証がテーマの総合歴史雑誌でスタートしたが、次第に読者の人気の高い「戦い」を中心にした編集方針へとシフト。現在は「ミリタリー・戦史Magazine」に生まれ変わった。
昭和46年3組卒クラス会の開催
60歳の還暦を機に同級生で集まろうか、ということで21年ぶりにクラス会を開催することにしました。しかし、同級生の住所もわからず、小垣先生も住所が変わられ連絡もできず、と途方に暮れていたらそこに偶然「海原会総会案内」が送られてきました。そうだ、海原会を頼れば何とかなると思い海原会事務局の中村久憲先生にお手伝いをお願いしました。程なく小垣先生と連絡が取れ、お聞きすれば喜寿を過ぎたとのこと、喜寿と還暦のダブル祝いをテーマに開催が決まりました。住所のわかる人31名に連絡し、当日10月20日には何と12名が集まってくれました。17時に学校正門に集合、すっかり変わった学校内を見学させていただきました。
その後、場所をこれまたすっかり変わった新大久保に移して懇親会を行いました。
小垣先生の若くて元気なお姿と変わらぬ話ぶりを拝見し、同級生が各自近況報告を行い、42年ぶりあるいは21年ぶりの再会を喜び合いました。そして、今後は、生存確認の意味を含めてクラス会を毎年やろうということになりました。この記事を読んだ昭和46年3組卒の皆さん、次回の案内状を送りますので海原会に住所を登録してください。
懇親会の後、誰からともなく二次会に行こうということになり歌舞伎町に移動してカラオケにいきました。同級生が集まれば同年代の共感できるオールディーズ(単なるなつメロ)で夜遅くまで大盛り上がりしました。やってることは高校時代と変わらないです。
末筆ながら、案内状の発送などだけでなく当日は学校内を隈なくご案内いただいた中村久憲先生に心より感謝申しあげます。
文責 齋藤昭廣
励ましあい八十路歩む
昭和25年卒 年次同期会 121017
中秋の10月17日、恒例の年次同期会を南青山5丁目の「うすけぼー」で開催。
昭和25年海城高校卒のわれわれは、同19年海城中学(旧制)入学以来68年、同高校(新制2期)卒以来62年もたった。その間、戦中/戦後、半世紀以上にわたる大変な激動の時代を生き抜いてきた。そこには、子や孫に伝えたい波乱に満ちた一大スペクタクルがあった。
そしてともあれ、われわれは「後期高齢者」の域に入った。いまや、人生は胸突き八丁/八合目の八十路を何とか歩み続けている。過ぎし日々のいろいろな想い出は、走馬灯のようにかけめぐり、尽きることがない。でも、まだまだきびしい現実が前途に横たわっていることをみんな覚悟をしている様子ではあった。
この夜、集まったのは22名。世話人グループの尾上武郎君が進行役となり、ひと足さきに旅立った仲間たちの冥福を祈って黙祷を捧げたあと、石川達也君、足立和君の開会挨拶、秋山哲児君の乾杯音頭で宴に入る。
宴たけなわ、談笑の輪があちこちに咲いた。そうしたなか、この夜の目玉は、ことしも仙台からかけつけた高橋博君であった。小学校時代から剣道に励んできた同君は、今夏、宿願の七段昇格を果たした。東日本大震災では、大きな被害がなかったが、このニュースは、みんなを大いに元気づけた。
また、ひとりづつ、想い出や近況など短くスピーチしたが、そこにはみじんの暗さはなく、来年もまた会おう、との声が飛びかった。とは云え、自身や伴侶の健康問題など、きびしい状況にある仲間も決してなくはない。しかし、明後年には中学入学以来70年を迎えるわれわれ同期にとって、お互いに力を分かち合う、まことに楽しい一夜となったことは、まちがいない。友よ、生きているうちに、来年もぜひお会いしましょう。(梅沢喬二・記)
海原会ニューヨーク同窓会
平成24年11月上旬、ニューヨーク市のグランドセントラル駅構内「Junior's」にて、海城卒業生でミニ同窓会を開催しました。参加者は平成13年卒業の羽山遼君と平成2年卒業の筆者の二名のみ。筆者が羽山君のことを海城PRESSで拝見し、コーネル大学で学位を取得したという共通点から、連絡を取り、会合となったものです。二人の間には一廻りも違う年齢差があるにも拘わらず、長島先生は怖かった、襟に着ける校章の色は何色であったか等、共通の話題を探りながら話は進み、お互いの研究内容や、米国在住での苦労・笑い話で歓談した一時でした。なんとマンハッタンには羽山君が知っているだけでも他に2名の海城卒業生がいるとの事。次回は4名で会合してみましょう、と締めくくりお開きとなりました。羽山君は現在ロックフェラー大学でバイオロジー研究に従事されており、ニューヨーク市を拠点として今後益々のご活躍が期待されます。筆者は企業派遣で来夏には帰国予定ですが、まさしく海原を越えて活躍している卒業生諸兄が多数おられると思いますので、そのような繋がりも広げて行けたら、と感じた一日でした。写真は羽山君(右)と筆者とでグランドセントラル駅構内で撮影したものです。(平成2年卒 安井喬 記)
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。