クラブ・委員会ひろば
「海原会賞」決まる
異色の抜擢
『海原会賞』三木 駿鷹(はやたか)君に
平成23年度の『海原会賞』は古典芸能部を創設に尽力した三木 駿鷹君に受賞された。受賞文は下記の通りです。
あなたは今から五年前 盟友平山 創君と古典芸能同好会を設立しました
あなたの真摯かつ献身的な活動により 現在では部に昇格 中高で約四十名を擁し 昨夏は部独自の研究がNHKで放送されるなど 同種の活動機関としては国内有数の規模にまで成長させました よってその活躍をたたえ表彰します
平成二十四年三月十八日 海原会 会長 徳光 和夫
賞状を読むと「盟友平山 創君」とある。平山君は「功労賞」で規約により部1名(部長職)で顕彰されたので、古典芸能部及び学年会としては、平山君のみならず三木君の顕彰をとのことで『海原会賞』に推挙された。二人は2008年に同好会を作り5,6人から始まり、今では40名となり「部」に昇格した。
その功績は称賛に値するだろう。ついでに2人の進路を聞くと、三木君は慶応、平山君は早稲田。早慶戦だ。(笑) 合格おめでとう。
因みに2人の高座名は後輩に継いで貰うことになった。
三木駿鷹・・・・・近視家三本助・・・・・(隠居名は森助)
平山 創・・・・・・海原亭 創太・・・・・(隠居名は創翁)
更に賞状に「部独自の研究がNHKで放送された」ことは大きな話題を呼んだ。「当初は落語を楽しみ演じる為に作った部活ではあったが、活動を重ねるごとに古典芸能をつくったのは、いったいどのような人だったのか、どのような背景があったのか」と考えたという。その研究は「ムーランルージュ新宿座」に発展。 その活動している姿がTVで放送された。その引き金になった2人のプロパガンダは素晴らしい。ともあれ「一所懸命」の姿は心を打たれる。
◆付記
リポート「ムーランルージュ新宿座と海城学園」より
グループ一同は古典芸能を鑑賞、研究していくうちに、お膝元の新宿が嘗て戦後の娯楽の殿堂であったこと。そしてムーランルージュで活躍した関係者、俳優、女優を探しルポルタージュを敢行、その途上なんと、「ムーランルージュ一座が海城に公演」というスクープになった。顧問の川崎先生の手を借りて資料をもとに、我がOBに調査、数人の方と当時の様子を聞くことができたという。このことは「本校の、戦後の進歩性を示す意味でもこの公演の意義は少なくない」と編んで居る。また当時の支配人曰く「長年こういう商売をしているが、学校へ招ばれたのは初めてです。海城は進歩的ですね」と感激していたという。
卒業式に花を添える吹奏楽団
海城学園では3月18日に卒業式が行われました。
例年、卒業式では吹奏楽団の演奏が行われます。今年も見事な演奏で先輩たちの晴れ舞台に花を添えてくれました。
卒業式らしい荘厳な曲ばかりではなく、要所には華やかな曲も流れます。その中にはAKB48の『Everyday、カチューシャ』もありました。
広報委員一同、男子校生活の締めくくりにアイドル歌手の曲?と驚きましたが、『Everyday、カチューシャ』は、数日後に行われる春の選抜高校野球の入場行進曲でもあります。高校球児の行進曲になるのなら海城の卒業式に演奏されても不思議はありません。
卒業から20年少々。自分たちのころとは少し変わったのかなと、思わず遠い目をしてしまいますが、卒業生の輝く笑顔を見ていると、自分の青春時代に通じるモノも感じられ、海城はいつまでたっても海城だな、と妙な納得をしました。
吹奏楽団は5月初旬に定期演奏会を予定しています。毎年、海城生、保護者、OBが集う一大イベントです。詳細は後日お知らせします。
画像上:吹奏楽団の演奏
画像中:『Everyday、カチューシャ』の譜面
画像下:卒業式全景
高校野球部OB会主催『第2回海城高校・関東学院野球部OB交流戦』@東京ドーム
3月2日(金)東京ドームにて、第2回目の開催となりました海城高校・関東学院野球部OB交流戦が行われました。
あいにくの雨でしたが、東京ドームに海城高校野球部OBが総勢30名集結し、第2回となりました、関東学院野球部OBとの交流戦に臨みました。つい先日、定年退職を祝う会を行いましたが、田中政一先生も参加していただき、昔の高校野球部時代を思い出す良い機会となりました。
18時半から、海城高校のシートノックが始まり、田中先生の見事なノックを受けるOBには感慨深い思いが溢れていました。3月で定年退職をされますが、まだまだOB達が受けていた時代と変わらずノックの腕前は見事なもので、本当にOBにとっては、かけがえの無い時間となりました。
試合は、田中先生の始球式に始まりました。始球式では、往年のピッチングフォームで見事にストライクを投げられて、田中先生も非常に喜んでおり、まだまだ現役で野球ができる姿を見ることができました。
19時にプレイボールとなり、海城高校が先行で1表に、3番出口(平成23年卒)と4番結城(平成7年卒)のタイムリーヒットで2点を先制し、幸先の良いスタートを切りました。前回は敗戦しているので、今日こそは勝ちたいというOBの気持ちが現れていました。
その後も終始、海城高校が追加点を上げて、海城高校がペースを握り試合を進め、7対3でリードをして、終了時間間近の21時間際を迎え、関東学院から泣きの1回を申し込まれて、最終回を迎えることになりました。
海城高校の最終回表の攻撃は、あえなく3者凡退。迎えた最終回裏の関東学院の攻撃。海城高校のエラーやフォアボールによって無視満塁のピンチ。投手のコントロールが定まらず、フォアボールを与えて、関東学院に1点の追加点。その後もピンチで、関東学院に走者一掃のスリーベースヒットを打たれて、3点追加され同点になる。その後2死まで凌ぐも、最後にセンター前タイムリーヒットを打たれて、サヨナラ敗戦。
今回も敗戦してしまいましたが、田中先生と共に野球をできる非常に貴重な機会となりました。
小林先生を偲び、国井君を慰労する会のご報告
去る2月10日にご逝去された小林好昌先生を偲び、また療養中には激励ノートの取り纏めやお見舞いの報告、最後の葬儀では数々の段取りなどを中心となって行なってくれた国井信男君(昭和62年卒)の慰労会をしようということで、3月2日(金)に新宿で鉄道研究会のOB3名(昭和62年卒 近藤圭一郎君、平成15年卒 間多洋彰君と私)と国井君の4名が集いました。
在りし日の小林先生の数々の逸話を語り合い、また往時の海城の思い出などを語り合いながら、早過ぎるご逝去を悼みました。
世代は異なれど、お世話になった先生に対する感謝の念は皆同じで、それぞれがしっかりと生きて行くことで恩返しをして行こうとなりました。
鉄道研究会では、毎年1月にOB会を開催していますが、今年は新盆にあたる7月14日(土)に「小林先生を偲ぶ会」を開催します。
その際には、国井君にも来て頂き、訳のわからない鉄道話にもお付き合い頂こうかと考えております。
(写真:新宿華鳥にて、右から国井、益田、間多、近藤)
高校野球部OB会主催『田中政一先生の定年退職を祝う会』@日本出版クラブ
2月25日(土)神楽坂の日本出版クラブにて、
体育教師として、高校野球部監督として、42年の長きにわたり、教育、指導されてきた田中政一先生の定年退職を祝う会を、高校野球部OB会主催で開催いたしました。
雨上がりで足下の悪い中、20才代〜50才代の田中先生から直接指導を受けた世代はもちろん、河原先生世代の60才代〜80才代の大先輩も田中先生の労を労い、感謝の気持ちを伝えるために、120人を超える方々が足を運んでくださいました。
八田会長はじめ、歴代OB会長の謝辞にはじまり、各年代代表者による田中先生との思い出エピソード披露スピーチが続き、田中先生には内緒で行った奥様へのインタビューでは、会場が爆笑に包まれ、終始明るく楽しい会となりました。
東京大学野球部前主将 岩崎くんの指揮による参加者全員での校歌斉唱では、念のため歌詞カードをみなさんに配っていたのですが、さすがは元高校球児。
歌詞カードを見る人は一人もいませんでした。
後任の梶監督からは、感謝と今後の抱負を語っていただきました。
田中先生の最後のご挨拶では、
「河原先生に追いつけ追い越せという気持ちで指導してきたが、最後まで追いつけなかった」
と、悔しい胸の内を打ち明けられ、私を含め「親の心子知らず」な教え子であったことを反省したOBも少なくないことでしょう。
田中先生のスピーチ内容は、最後まで自分に厳しい田中先生らしいスピーチでした。
ただ、想定外だったのは、田中先生のスピーチの短さです。
試合の後の反省会では、話がとても長かった田中先生。
OBに向けた最後の話もきっと長いだろうと、十分な時間をとっておいたのですが、非常に簡潔でよくまとまった素晴らしいお話で締めくくってくださいました。
最後は、今回司会もつとめた、慶応義塾大学野球部で活躍した結城くんの音頭による万歳三唱、参加者全員での記念撮影で、田中先生の定年を祝う会はお開きとなりました。
終了後は、近い年代同士連れ立って、神楽坂で田中先生の教え子らしく、長い反省会があちこちで行われたそうです。
写真1)挨拶をする八田OB会会長
写真2)田中先生と先生と中堅OBたち
写真3)田中先生と120人の教え子たち
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。