クラブ・委員会ひろば
図書室にあるOBの書籍
今、海城の図書室は1号館の2階にある。1号館は校門を入って右の建物で、新型コロナウィルスの感染拡大以前は3階の講堂で海原会の総会を開催していた。
図書室には海城関係者が著述した書籍のコーナーがある。
海城生が手に取ってくれて、教養の血肉にしてもらえるのなら、OB冥利に尽きるというものである。
神宮での対城北戦
昨年の独自大会は無観客試合であった。とはいえ、なんとか海城生の晴れ舞台を見ようとする海城OBたちが、駒沢球場のフェンス裏から覗き見るように観戦していた。
それから1年。今年は観客を入れての試合が実現した。
7月11日(日)神宮球場で海城と対戦したのは城北。海城と同じく中高一貫の男子校である。同じ男子の進学校とはいえ、城北は昨夏に都立小山台、秋に国学院久我山と甲子園の常連校に勝利している。その時の投手が今回のエースであり、彼は「東東京の逸材」に選ばれている実力者であった。
プレイボール!
海城のエースは渡辺くん。アンダースローで2度のWBCチャンピオンに貢献した渡辺俊介氏の子息である。父上に指導を受けたのかはわからないが、この大会からサイドスローへ転向した。
「お父さんゆずりか?」
「どっちかというと河原先生の投げ方を思い出すな」
応援スタンドに駆け付けたOBたちは思い思いに感想を漏らした。
「細身の彼はスタミナに課題があるが、波に乗れば力を出せる!」
とは、今年も多くの練習試合を観戦した事情通OBの言葉。
1回表城北の攻撃はランナーこそ出したが無難な立ち上がり。
1回裏海城の攻撃では、城北のエースが同じ腕の振りから繰り出す緩急のあるピッチングで海城打線を翻弄。1番打者は三振を喫する。その後はレフトのエラーから出塁すると、上位打線が食いついて、2点・1点とタイムリーヒットを重ね、3対0とリードした。
2回からは城北も得点するが海城も追加点を挙げる展開。お互い、走者はたくさん出すのだが、固い守備何とか切り抜けビッグイニングは作らせない。両者0点は3回のみで、毎回走者をためて小さく得点を積み上げていく展開となった。
点を取られたら取り返す展開で、5回までのところ、6対5で海城のリード。
城北のエースは4回で降板。力を残しての降板にも見えたが、海城打線が打ち崩したようにも見えた。しかし、2番手以降の投手も本格派で、つけ入るスキは見えてこない。
6回に入ったところで、応援席からでもわかるほどに渡辺くんに疲れが見えはじめた。このころからボールを外野に運ばれることが多くなる。
四球を出してからのセンターオーバーのヒットで同点。外野フライからのタッチアップでついに逆転を許す。
7回表城北の攻撃からは海城も継投策。それが奏功して無得点に抑える。その裏の海城の攻撃、4番の内野安打で同点に。6対6。
しかし、8回に再びリードを許すと9回にも1点追加で9対7と突き放される。
9回裏に海城が1点入れて追いすがるも、1歩及ばず、2時間半を超える熱戦むなしく、9対8での海城の惜敗となった。
渡辺くんはメディアも注目していたようで、ネットで検索してみると、大学でも野球を続けたいらしいことが書いてあった。
無念ではあるが、今日で高校野球は一区切り。残りの時間は次の夢に向けて大学受験を頑張ってほしい。
9回に登板した2年生の江口くんは、他の選手と比べてもひときわ体格が良かった。聞けば180センチを超えているのだという。来年までに球速の140キロ越えを目指すという。頼もしいことだ。
愛情野球部の夏は終わってしまったが、それぞれが次の目標に向けて始動している。
伸び盛りの後輩たちを、特等席から見守る特典が海城OBには用意されている。海城OBで良かったと思う瞬間である。
画像上 サイドスローの渡辺くん
画像中 応援の多さでは負けない
画像下 試合終了後、ねぎらいの拍手
海会賞から次の高みへ
海原会では卒業生の中からユニークな活動をし、特に功績のあった卒業生に対し、海原会賞を贈っている。
令和2年卒では3名が海原会賞を受賞したが、そのうちの2名は俳句甲子園で活躍をした大熊光汰さんと青木暢也さんだった。
海城卒業後は二人とも東京大学へ進学。引き続き俳句に親しみ、東大俳句会に入会した。東大俳句会は、高浜虚子を指導者として、中田みづほ、山口誓子、水原秋桜子、高野素十、山口青邨らが参加したという、来年で創立百年になる由緒ある会だ。
5月28日に放映された新日本風土記スペシャル(NHK BS)は『桜のうた』と題してした。番組では、はとバスに乗り東大俳句会の会員が吟行をするというコーナーがあり、その中に大熊光汰さんの姿があった。
大熊さんははとバスで東京の名所を巡り、皇居周辺の桜を見て句を詠んだ。
花筏 疾く水のうへ 花のした
一方で青木さんは今回の番組には出演しなかった。
ゴルフ部との兼部でそちらが忙しかったのだという。そういえば、青木さんは海城時代も野球部との兼部であった。今も文武両道ということか。
海原会が認めた才能が、次のステージでさらに伸びていくのを目の当たりにするのは、なんとも誇らしい。
数年前に海原会総会で徳光会長が語っていた。
「海城の発展に伴い、今や私たちは後輩の七光りで鼻高々なのであります」
画像:2018年に海城の前庭に掲げられた垂れ幕
宇都宮くんの凱旋授業
宇都宮祐くんは文化祭実行委員会(以下文実)のOBだ。平成3年卒なのだが、文実OBの中では98代と言った方が通りが良い。
彼の在学時は海城の百周年事業で校舎の建替えがあり、プレハブ校舎だったり工事中だったりと、やや落ち着かない時期だった。その逆境を乗り越えて海城祭を成功させたこともあって、98代はとびきりたくましく、良い仲間意識のある代であったと記憶している。
その宇都宮くんが海城で授業をする、という情報をくれたのは宇都宮くんの同期の遠藤行泰くん、それとも塩田顕二郎くんからだったろうか。同時に両方からだったかもしれない。感染対策をきっちりしたうえで、ちょっと様子を覗かせてもらった。
授業の様子はもう少ししたら発行される会報「海原」において、遠藤くんがエッセイでまとめているので、ここでは触れないでおく。宇都宮くんが後輩の海城生たちに語る様子は、その昔、戸山公園でミーティングをしていた時と同じテンションで、感慨深いものがあった。
遠藤くんのエッセイに使えるかもしれないと思って温めておいた宇都宮くんの画像は紙面の都合ではみ出してしまったので、この投稿で使わせてもらうことにする。また、遠藤くんがエッセイの第一稿で書いていたものの、紙面の都合で割愛されてしまったエピソードをコピペさせていただきたいと思う。
「タスクはお弁当を2つ持って登校した。家から持って来るものと駅で女の子から渡されるもの。弁当を持たないクライメイトに後者を全く手も付けず差し出すのを目撃し、人道的にそれはいかがなものかと私は作文に書いた。
女子からモテる男らしさがタスクにはあった。これは目撃していないが、保善高校のヤンチャな生徒に絡まれた時「一番強い奴を出せと!」と言って、水戸黄門の印籠のように生徒手帳をかざし「宇都宮祐だ!いつでも来い!」と捨て台詞を吐いたという伝説が伝わってきた。」
昭和の色がまだ残る平成の初めのころの高校生は、このような感じだったかもしれない。
私自身は宇都宮くんの4学年上のため、同時期に海城に通ったことはない。それでも、当時の海城祭は現役の文実とOBたちが一緒になって作業をしていたため、共有できる思い出が多い。これは人生の宝物だ。
98代文実OBたちもそろそろ50才。同期からは何人も日本を支える人物を出している。あの時の彼らの情熱を考えたら、そういう人物が出るのは当然と思うし、あの輝きに負けず劣らずまぶしい今の現役の文実を見ていると、どれだけ伸びていくのだろうと楽しみな気持ちでいっぱいになる。
今年の海城祭は第130回。コロナが落ち着くようなら秋にみんなで集まりたいと考えている。
文化祭実行委員会生徒会OB会元会長 国井信男
【野球部】海城対堀越
海城高校野球部は4月3日(土)江戸川区球場にて春季大会の1回戦に出場した。対戦校は堀越高校。言わずと知れた強豪である。
海城は渡辺投手と杉村捕手のバッテリー。
強豪の名に臆することなく、海城ナインが力を出せるかが試合の鍵であった。
1回表、堀越の攻撃は0点で抑えた。
無難な滑り出しにリラックスできたのか、その裏の攻撃で海城が1点先制。
2回表、すぐさま堀越が1点返して追いつく。
3回はお互い得点することができず。
4回表、堀越が1点追加し逆転。
その後は、2対1で堀越がリードのまま試合が進む。
6回を終えた時点で2対1の好ゲーム。得点こそないが、どちらかというと海城の方が塁を賑わしている印象。この展開を予想できたOBがどれだけいただろうか。
しかし、さすがの堀越であった。
7回表、海城のミスをきっかけに堀越打線が爆発。
あれよあれよと7点奪われ、気づいてみれば9対1。
海城は7回コールド敗退となってしまった。
とはいえ、堀越に安打の数で上回る試合展開は、応援するOBが夢を見るのに十分なもの。
「ほとんどの学校が公式戦に出られない中、夏に向けての貴重な体験となった」
とは、事情通のOBの言葉。
本番の雰囲気は本番でしか味わうことができない。今回の試合で味わった様々なことを血や肉に変え、夏の選手権に向け海城ナインにはさらに高みを目指してほしい。
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。