クラブ・委員会ひろば
窪島誠一郎氏 10時間マラソン講演 2日目(第二部)
窪島誠一郎氏 10時間マラソン講演 2日目(第二部)
信濃デッサン館 無言館誕生
写真 文 広報委員杉山紘千佳
11月9日(日)午後2時より2日目講演が始まった。
海原会関係者は初日から参加の私杉山(昭和36年卒)、浜田謙一氏(昭和20年卒)の大御所、途中から参加の川村欣也氏(昭和35年卒)、西山光生氏(昭和34年卒)の4名に増えました。
二日目からの初参加者が多かったため、講演冒頭は昨日の復習。おおざっぱに1時間半に渡り窪島氏の生い立ちを話した。その後、休憩を挟み、いよいよ信濃デッサン館、無言館の話に入った。
窪島氏が東亜にいたころ、「村山槐多」の絵に出合ったことで衝撃を受けたのが切っ掛けに、昭和54年8月に居を長野の上田に移し、信濃デッサン館、その分館として平成9年に無言館を反戦平和目的で開館した。
無言館には窪島氏が日本中から集めた戦没画学生の作品が収められている。私も一昨年海原会の見学会で、無言館、信濃デッサン館を訪ねたが、そのときに窪島氏から聞いた話がある。無言館の木の扉を開けて中に入ると、心がひやっとし厳粛な気持ちになる。何故かというと、死を前にして描いた戦没画学生の気持ちが表れているのではないかということだ。
窪島氏の著書の中に「父への手紙」がある。
中学3年のころ両親は背が低い(150㎝くらい)のに自分は背が高い(180㎝弱)のは両親の実の子どもではないのではと危惧したのが切っ掛けになり、父親を捜し始めた。
「水上勉」との再会は前記の「坂本龍一」氏の父君の河出書房の坂本一亀氏(過去に三島由紀夫、村上龍、野坂昭如などを世に出した敏腕編集者)で、その坂本一亀氏のお力添えで無事再会できた。
それが切っ掛けで文藝春秋、中央公論、その他11の出版社からあなたの半生を小説にと依頼されたが、数年後、筑摩書房のモリタさんから「あなたの言葉で書きなさい」と言われ、「父へ手紙」を1ヶ月で466枚書き上げ、現在30版になっている。その小説が評判でテレビ化もされた。本人役は永島敏行、奥様は壇ふみさんで、非常に好評だった。
今後は海外の戦没者の遺作展を地球規模で拡げてゆくとのことで締めくくり。午後6時に終了した。
画像上:創業時のスナック「塔」の看板
画像中:浜田謙一氏
画像下:窪島誠一郎氏と西山光生氏
「キッド・アイラック・アート・ホール」と私
「キッド・アイラック・アート・ホール」と私
写真 文 広報委員 杉山紘千佳
ここで今回は「キッド・アイラック・アート・ホール」と私自身についてお話しいたします。
窪島誠一郎氏が昭和39年の東京オリンピックでおにぎりを売りまくっているころ、私は昭和38年の8月に隣町の永福町に転勤。昭和50年4月まで11年8ヶ月、その当時人生の1/3をS会社の営業職に就いていた。
オリンピックのとき、たまたまマラソンの試合に出くわして、下高井戸の顧客の2階から見物することができた。ヒタヒタと裸足で走るアベベ(金メダル)、日本人では自衛隊出身の円谷選手、君原選手が続いた。彼らの追い上げを期待して観戦したことを覚えている。
「ホール」の前身であるスナック「塔」が開業したのが昭和38年。景気の波に乗りチェーン店を5店舗にまで増やし、そのおかげで「キッド・アイラック・アート・ホール」が完成。美術・音楽・演劇を中心にセミナーや展示会音楽会を開催した。
私もアマチュアながら日本産業音楽会で後に5年連続日本一に輝いたタンゴバンド、オルケスタファンチャムで打楽器を担当していた。
絵画の方は後に日展理事長で文化勲章を受賞した日本画の「大山忠作」画伯が親族にいたので絵画鑑賞を趣味にして関東近辺の美術館巡りを現在もしている。
また、実の弟が写真大学を出て、プロの写真家を目指したこともあり、見よう見まねで私も写真を趣味に現在も続いている。写真の方は10数年前に日刊工業新聞の正月特別版に半切の大きさで新聞に初日の出の写真が掲載されたのが唯一の自慢です。
「キッド・アイラック・アート・ホール」は今後の予定として
12月10日(水)・11日(木)
劇団竹の「屍と幸せの女王」(有料)
12月13日(土)・14日(日)
京ことば「源氏物語」(有料)
語り 山下智子
12月24日(水)
「天満敦子」ヴァイオリンコンサート(有料)※残席わずか
などの講演が年内に予定されています。
現在「キッド・アイラック・アート・ホール」は窪島氏縁の早川誠司氏が責任者として頑張っています。海原会の皆様、電話して予約すると割引になります。是非興味ある方はご来館ください。
又、貸しギャラリー、貸しホールも常時受け付けております。
〒156-0043
東京都世田谷区松原2-43-11
「京王線」「井の頭線」明大前駅より徒歩2分
TEL 03-3322-5564
画像上:窪島誠一郎氏
画像中:往時を偲ばせる資料
画像下:終戦直後の明大前付近の焼け野原の空撮(店の壁画から)
文化祭実行委員会・生徒会OB会2015年新年会
文化祭実行委員会・生徒会OB会(以下、「文実OB会」と略す。)では、毎年新年会を開催しています。
来年(2015年)も、以下の要領で新年会を開催いたします。
1.日時 2015年1月3日(土)
2.開始時間 午後6時
3.開催場所 JR新大久保駅前・鳥良
4.備考
(1)お店は、国井信男又は本記事投稿者(齊藤)の名前で予約します。
(2)開始時間までに、直接店内に参集してください。
海城の文化祭実行委員又は生徒会長、副会長その他の生徒会役員を務めたOBの方で本新年会に参加希望の方は、海原会ホームページの『海原会へのお問い合わせ・ご連絡』までご連絡ください。
※特に、若手OBの参加、大歓迎です。先輩は、決して怖くないですよ!(笑)
※奥様やお子様を伴っての参加も、大歓迎です
(参加のご連絡の際、必ずその旨をお伝えください)。
また、文実OB会のMLへの登録がまだお済みでない方も、海原会ホームページの『海原会へのお問い合わせ・ご連絡』までご連絡ください。
たくさんのOBの方の参加を、お待ちしております。
鉄道研究会OB会 新年会のご案内
海城鉄研OB会で、恒例の新年会を開催する運びとなりました。毎年、年代を超えて多くの皆様に参加していただいております。
【日時】平成27年1月10日(土)18時より
【場所】大衆割烹いさみ(東京都新宿区歌舞伎町1-23-10 JR新宿駅東口徒歩5分)
【参加費】5000円+OB会年会費2000円
参加を希望される鉄研OBの皆様は info@kaijotekkenob.com まで(1.お名前 2.卒業年)をご一報下さい。皆様のご参加をお待ちしております。
旧本館の懐かしい話を肴に
100代生徒会長の小市くん(平成5年卒)が一時帰国したのに合わせて、98代実長の塩田くん(平成3年卒)と94代生徒会長の国井(昭和62年卒)で渋谷に集まりました。高校時代は文化祭実行委員会(以下文実)や生徒会で活動していた3人です。
我々3人の自慢はギリギリで昔の海城の本館を知っていること。
本館は軍艦赤城の材料でできている、と聞いたことがあります。ワシントン海軍軍縮条約締結により八八艦隊の巡洋戦艦として建造中だった赤城が航空母艦にされることになり、使わなくなった部材を海城が譲り受けたのだとか。歴史の用語であるワシントン海軍軍縮条約がずいぶんと身近に感じたものでした。
文実や生徒会の拠点だった生徒会室は本館の2階にありましたが、本館の解体と2号館の建設の際にはスーパーハウスというプレハブでした。当時は教室の多くも校庭に設置したプレハブでしたが、苦労したという話とプレハブではあったが空調が完備されていてまんざらでもなかったという話と相半ば。昔の海城の教室には冷房なんか無かったですから夏は暑いのなんの。
年月は過ぎ、今秋には123回の海城祭が行われました。いつか「昭和生まれ」なんて言われるんだろうなーなどとぼやきつつ、125周年に向け後輩たちがさらに母校を盛り上げてくれることを信じ、散会となりました。
画像上:渋谷の秋月にて
画像下:取り壊し直前のころの本館
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。