クラブ・委員会ひろば
野球部OB会のソフトボール大会
1月11日(日)海城学園グランドにおきまして野球部OB会のソフトボール大会が行われました。
今回は野球部OB・PTA・前監督という海城野球部を応援する幅広い方々の参加をいただき、そこに現監督と現役海城生を加え、4チームでのリーグ戦を行いました。
当然優勝は現役海城生チーム!と言いたいところでしたが、優勝したのはOBとPTAの混成チームでした。OBの主体が海城を夏の予選ベスト16まで引っ張った平成23年卒であったことと、OBの多くが大学でも野球を続けたバリバリの現役だったためのようです。飛ばないはずのソフトボールの球を軽々とプールにたたき込むのは圧巻!
そういえば、今年の六大学野球の新人戦では東大野球部に海城OBが2人エントリーされて、うち1名が出場したとのこと。現役生にとっては夢の続きを追い求めるOBの偉大さに触れ、さらに高い目標を見つけることができたのではないでしょうか。
海城野球部OB会では3月に東京ドームでの関東学院高校OB会との交流戦を予定しています。詳細は海原会ホームページとリンクしている野球部OB会のページにて告知する予定です。
画像上:集合写真
画像下:元東大野球部主将岩崎脩平さんの豪快なスイング
文化祭実行委員会・生徒会OB会の新年会
1月3日に新大久保駅前鳥良にて文化祭実行委員会・生徒会OB会の新年会を開催しました。
94代(昭和62年卒)を筆頭に118代(平成23年卒)の若手までが集結。年齢差は24年ありますが、けっこう担当していただいた先生はかぶってます。
「えー、オレんとき若手だったあの先生が今は重鎮なの?」
転勤の無いのが私学の魅力ですね。
男子校ですので保健の先生、事務の方など、学校内の貴重な女性に関する思い出話は多いようです。中でも、オババについてはネタが尽きません。売店のオババ、今も健在なんですよ!
現役生のお邪魔でなければ、今年の海城祭でもOB会は展示をいたします。毎年、各方面で活躍する若手OBのプチ講演が目玉ですが、今年は医療関係について行いたいと考えていますので、若手OBに力を借りていきたいところです。
文化祭実行委員会・生徒会OB会会長 国井信男
野球部OB会の忘年会
12月20日(土)野球部OB会の有志による忘年会が新宿の魚盛にて行われました。
八田耕治会長(S52)からは2016年に迎える「野球部発足70周年」についての構想が明らかにされるなど、今後の野球部とOB会のさらなる発展を予感される話が目白押しでした。
2015年1月11日(日)には、恒例となっている野球部OBと現役野球部員による新春ソフトボール大会が行われます。参加を希望される方は当ホームページの「海原会へのお問い合わせ・ご連絡」までお問い合わせください。
画像:忘年会の模様
文化祭実行委員会・生徒会OB会2015年新年会、締切迫る!!
去る11月25日(火)に本ひろばにおいて告知いたしました標記の件ですが、締切(12月24日(水)午後5時)が迫ってまいりました。
まだまだ参加を受け付けておりますので、積極的な参加をよろしくお願いします。
なお、開催要領は以下のとおりです。
1.日時 2015年1月3日(土)
2.開始時間 午後6時
3.開催場所 JR新大久保駅前・鳥良
4.備考
(1)お店は、国井信男又は本記事投稿者(齊藤)の名前で予約します。
(2)開始時間までに、直接店内(店の入口ではない)に参集してください。
海城の文化祭実行委員又は生徒会長、副会長その他の生徒会役員を務めたOBの方で本新年会に参加ご希望の方は、海原会ホームページの『海原会へのお問い合わせ・ご連絡』からご連絡ください。
※特に、若手OBの参加、大歓迎です。先輩は、決して怖くないですよ!(笑)
※奥様やお子様を伴っての参加も、大歓迎です
(人数把握の関係上、参加のご連絡の際、必ずその旨をお伝えください)。
また、文実OB会のMLへの登録がまだお済みでない方も、海原会ホームページの『海原会へのお問い合わせ・ご連絡』までご連絡ください。
たくさんのOBの方の参加を、お待ちしております。
窪島誠一郎氏 10時間マラソン講演 初日(第一部)
窪島誠一郎氏 10時間マラソン講演 初日(第一部)
キッド・アイラック・アート・ホール
写真 文 杉山紘千佳
昭和35年卒業、直木賞作家の水上勉を父に持つ窪島誠一郎(旧姓水上凌)氏の講演会が、去る11月8日(土)・11月9日(日)にて行われた。窪島氏が運営する「キッド・アイラック・アート・ホール」50周年を記念して開催されたこの講演会は合計10時間にもおよび、「10時間マラソン講演」と銘打たれた。
初日は海原会関係では私一人の参加となった。午後2時よりスタート。
氏は水上勉、益子の子として昭和16年9月20日、東京の東中野で産声を上げた。由あって2才の時、現在の明治大学和泉校舎の前で靴屋を営んでいた窪島茂、はつ夫婦の養子となり、現在に至っている。
松原小学校、梅丘中学校、海城高校で学んだ窪島氏。海城時代は、当初美術部に入り、顧問はのちに画家として世界的に活躍された利根山光人先生だった。利根山先生が海城を去ったあとは文芸部に移り、浜尾甫先生にお世話になった。
海城高校を卒業後は渋谷の東亜縫製(株)に就職。3年後の昭和38年11月に退職し、幼少のころから育った場所、明大前にスナック「塔」を開業。一時はチェーン店が5店舗になり、今は鵠沼の柳小路に一店舗だけ残っている。明大前のスナック「塔」は昭和39年11月に現在の「キッド・アイラック・アート・ホール」として再スタートした。名称は喜怒哀楽をパクッたのだという。ちょうどそのころ、昭和39年10月東京オリンピックが開催され、氏は観衆に「おにぎり」を売りまくり儲けたという。そのときの関係者の1人が現在の奥様になったそうだ。
ホールは当初美術を目的としてスタートしたが、その後フリージャズが主体となり、氏の話の中で「坂本龍一」・「日野皓正」・アルフィーの「高見沢俊彦」などの名が挙がった。
その後、演劇関係では「三島由紀夫」・「つかこうへい」・「寺山修司」木枯らし紋次郎でもおなじみの「中村敦夫」などの名前も挙がり、「キッド・アイラック・アート・ホール」は音楽・演劇・美術の登竜門となった。今回の講演には中村敦夫氏が応援に駆けつけ、講演終了後、関係者と共々50周年の乾杯をした。
講演は午後6時半に終了。明大前をあとにした。
画像上:「キッド・アイラック・アート・ホール」の入り口風景
画像中:公演中の窪島誠一郎氏と観衆
画像下:マラソン講演目次
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。