同期会・同窓会ひろば
五十嵐寛先生ご退職
この三月までアメフト部の顧問としてご活躍されました国語科の五十嵐寛先生がご退職されました。
先生は実に三十五年間の長きに渡り、本校の教育にご尽力されました。 ご在職中は、保健部長、教務部長、教頭など数々の要職を歴任されました。
就中、本校の、いわば黎明期に、存分に手腕を発揮され、本校躍進に多大な貢献をされましたのは衆目の一致するところであります。
教務部長時代、「五十嵐節」ともいうべき稀代の名調子での各種会議の司会進行は、いまなお、現職教員を中心として語り草となっております。
また、名にし負う博覧強記の先生としても知られました。ある日、大先輩にあたる小山先生と談論風発。戦前派の小山先生の「で、五十嵐さんは終戦はどちらで迎えられたのですかな」には苦笑を禁じ得なかったそうで、なるほど五十嵐先生ならではのエピソードと言えましょう。
その五十嵐先生をお囲みしてのアメフト顧問らによる送別会が二月中旬に行われました。席上、五十嵐先生は、「教育の効果というものは、すぐに出ずとも、二十年、否、三十年後にでることだってあるわけです。自己の信念に従って、近視眼的にならずに教育活動をするのがよいのではないでしょうか」と述べられ、一同、深く感じ入った次第です。
写真は送別会二次会でのもの。右から、林敬先生、前アメフト顧問で当日駆けつけてくださった鈴木元明先生、そして五十嵐寛先生です。
五十嵐先生の、今後の更なるご活躍を参加者一同でご祈念して散会いたしました。
五十嵐先生、本当にお世話になりました。そして、今後とも何卒おつきあい頂けます様、よろしくお願い申し上げます。
(アメフト部顧問一同)
矢作由美先生(数学科非常勤講師)ご退職
数学科の紅一点としてご活躍頂きました非常勤講師の矢作由美先生がこの三月でご退職されることとなりました。
先生のご専門は解析学。
本校ご在職中は、高校二年生および三年生をご担当され、受験指導はもとより、数学の深遠さを、奇をてらうことなく生徒へ伝えるお力には定評のあるところでした。
矢作先生に救われた、あるいは数学の魅力を教えて頂いた生徒は少なくないことでしょう。
同僚として、職員室に先生を訪ねる生徒たちの多さと、一様にほころぶ彼らの笑顔を目にして大いに尊敬するところです。
四月からは世田谷区の東京都市大学(旧武蔵工業大学)にご転出されます。新天地でのご活躍を願わずにはおれません。
さて、その矢作先生のご退職を記念して、この日(15日)は記念談話会が行われました。
これは矢作先生が所属されている数学科教員有志6人からなる勉強会(現在は「ポストモダン解析学」を講読)の成果報告を兼ねたものです(写真1は有志の面々。左から北村先生、平山先生、矢作先生、宮崎先生、小澤先生)。
矢作先生は「フレドホルム型の積分方程式」の解の存在と一意性を発表されました。
発表中、とりわけ耳目を集めたのが、これをほぼ高校数学の知識だけで明快に解説された点です。
聴衆の一人であった編集子は勉強会の有志ではありませんが、数学教育上の示唆を受けることが少なくなく、大いに勉強になりました。と同時に、多くのインスピレーションの湧く発表でもあり、その点においても大変に貴重な時間を過ごせました。
勉強会終了後、先生を交えて食事会を行い、矢作先生の本校へのご尽力を労いました(写真2。左から宮崎先生、矢作先生、平山先生、大和先生)。
幸い、今後も勉強会には来校される由。先生と数学科の友好の灯は点り続けます。
ともあれ、矢作先生、お疲れ様でした。
なお、矢作先生は18日の本校卒業式にご参加されるご予定であることを付記しておきます。
(矢作由美先生ご退職記念数学科談話会)
プログラム(於・第五会議室)
14:30~14:45 小林先生 ノルム空間と一様収束
14:45~15:00 小澤先生 バナッハ空間
15:00~15:15 宮崎先生 不動点定理
15:15~16:00 矢作先生 海城での思い出と、フレドホルム型積分方程式の解の存在と一意性
質疑応答
癌一髪!
海原会広報委員の杉山です。
私のところへ海城36会の一メンバーから葉書が届きました。
彼はエッセイストとして雑誌等に寄稿している「寺崎央」です。自分の肝臓癌との戦いを一冊の本に書きまとめ「癌一髪」という題名でマガジンハウスから3月8日発売の予定です。
是非、海原会の皆様!私も発売したら購入の予定ですが、皆様も購入して彼の体験をご覧ください。
スキーは楽し!同好者募集
昭和34年卒のスキー好きの同期生が、7年前から毎年一回集まり、白銀の世界を楽しんでいる。
その腕前は、インストラクター並の実力者から、ボーゲンをなんとか、こなせる程度の者まで、幅広い。
ただ、いずれの面々も、古希を過ぎてもスキーへの情熱は衰えを知らない。若人の滑りまくるスタイルとは、縁遠くなったものの、ゆったりと雪をかぶった山々を眺めながら、白銀のシュプールを描く快感は、何にも換えがたい。
無論、スキーのあとの温泉とお酒の味は、格別だ。
酒を酌み交わしながら、50年数年前の海城学園での思い出、孫の自慢話、女房への不平不満、年金減額への危惧等々、同期の近況など話題は尽きない。最後にはやはり健康談義となり「ボケ防止」のためにも、「身体の許す限り、スキーを続けよう。」 そのためにも、「定期健診を忘れずにうけよう。」
との、結論を得て床に就く。
一病、二病と抱えていても、このように、毎冬のスキーに集い、互いに元気に再会できる友はこの歳になると貴重な存在である。
今まで、訪れたスキー場は、一回目の「嬬恋」に始まり、以後「湯沢」、「蓼科」、「八ヶ岳」、「草津」、「十日町」と巡り、今年は、この2月、万座温泉スキー場での再会となった。
残念ながら、いつもの8人のメンバーのうち、所用で4人欠席となり、今年は4名の参加であった。
いつもは、神谷 光男、赤松 郁夫、山崎 洋、及川 豊一(温泉とウイスキーでの参加)がこれに加わる。
今回は、幹事役の下田 征男、大谷 徳義、小野 光昭、安藤 浩、の面々である。
34年卒の同期はもちろん、海原会の皆さんで、スキーを楽しみたい方々、大歓迎です。
来年は、志賀高原などが、候補にあがっています。興味のある校友の皆さんとともに、できたら、「海原会スキー同好会」を結成したいものです。
S62小林組とその同期
2月17日(金)、あいにくの雪は小林先生が我々に与えた最後の試練でしょうか。だとしたら、気合いで式中に雪を積もらせなかった我々は合格点をもらえたかもしれません。
足下の悪い中、通夜には500人近い方々の参列があり、歴代小林組、ラグビー部、鉄道研究会の有志は皆様をお迎えするお手伝いをさせていただきました。
その後、S62小林組とその同期は近所の居酒屋でひさびさの顔合わせとなりました。楽しい昔語りの輪の中に小林先生がいらっしゃらないのはなんだか不思議な気持ちがしましたが、「またいつものように小林組と同期の会をやりたいね」と話し、明日の告別式に備えて、酒をセーブ気味に散会しました。
写真上段:祭壇と飾られた品々
写真下段:S62小林組とその同期
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。