クラブ・委員会ひろば
【訃報】横川経祐くん
2月4日、94代生徒会副会長の横川経祐くんが亡くなった。
在学中、横川くんの名は祐士だった。それが経祐になったのは20代になってから。僧侶であるお父さんの行く道を追い、出家したからだった。
海城時代は文化祭実行委員会、生徒会、バレー部、アメフト部、その他もろもろ、いろいろなところで活躍をした。運動神経抜群でいて、手先が器用で絵も字もうまい。卒業アルバムを開けば、彼が描いた恩師の似顔絵が生き生きとしている。
卒業後も、僧侶としてのお勤めの傍ら、地元のチームでバスケットボールに打ち込む日々。あまりにまじめに向き合うものだから、周りはついていくのが大変だったようだ。
そんな彼を病が襲った。半年の闘病生活の末、死去。
葬儀には、海城の関係者も多く参列した。委員会仲間、部活仲間、悪い遊びの仲間。先輩、同期、後輩。バスケットボールのチームにも海城のつながりの方が多数いた。よくもまぁ、いろいろな人と交流していたものだと思う。
横川くんは、身の丈六尺を優に超える仁王像のような偉丈夫で、かつ、歯に衣着せぬ直言居士。多くの人が感じる第一印象は「怖い人」だ。にもかかわらず、みなが語る横川くん像はというと、要するに「優しい人」ということだったと思う。ごまかしなく相手に接するその態度がそうさせるのだろう。そういえば、猫はいつも横川くんになついた。猫はわかっていたのだろう。
葬儀では横川くんの仲間の僧侶3人がお経をあげた。葬式慣れしているはずの僧侶たちが、みな、泣いていた。悲しみの涙であることは間違いないのだが、それだけでなく、一本気に生きた仲間への、感動の涙でもあったろう。
多くの人に見送られて、横川くんは旅立った。
海城で彼に出会えたことは私の幸せであった。そして、海城の仲間と彼を見送ることができたことは一生の思い出になった。
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