クラブ・委員会ひろば
100代製作の高橋有仁くんを偲ぶ
令和2年9月6日、高橋有仁くんが亡くなった。まだ45才だった。若すぎる。
この度の新型コロナウィルス感染拡大の影響によって、世の中ではテレワークやオンライン会議が多用されるようになった。様々な企業のサーバを構築・管理する仕事をしていた有仁くんは多忙を極め、会社に泊まり込みの日が続いた。そして8月中旬に倒れた。新型コロナウィルスの感染はなかったものの、もともと体が丈夫な方ではなく、倒れてから数週間で肺炎で亡くなってしまった。
海城高校時代、有仁くんは文化祭実行委員会(以下文実)に所属していた。海原会の定める卒年表示では平成5年卒なのだが、文実では自分が高校2年の時に仕切った文化祭が創立から何年目かを示す「××代目」という呼び方で先輩・後輩を呼び合う。有仁くんは100代目にあたる。担当は海城祭名物の大きなパチンコ「コリント」を作る製作委員長だった。
有仁くんの葬儀には一緒にトンカチを握った93~106代の先輩・後輩も多数参列した。文実・生徒会OB会の現会長である115代実行委員長の津村くんからは弔電も届いた。有仁くんは海城入学から30年、いつも文実の輪の中心にいたので、皆の喪失感は非常に大きかった。いつも親切で優しくて行動の人だった有仁くん。まさに名の通り、仁の有る人だった。有仁くんへの寄せ書きには、彼の人柄を示すかのような言葉が並んだ。
残された我々も悲しんでばかりもいられない。今年の第129回海城祭は生徒だけの内輪開催と世界に発信するオンライン開催というかつてない形式で行われる。
有仁くんがいたら、129代の後輩たちにどんなアドバイスをしただろうなどと考えつつ、数日後に控える海城祭について思いをはせた。
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。