クラブ・委員会ひろば
応援席より
海城対目黒学院の開幕戦は雨の中の戦いとなった。
選手はもちろん、応援する方だってびしょ濡れだ。傘を差したり雨合羽を着たりしながらの応援も選手のためを思えばなんのその。
最近の海城高校野球部の応援席はだんだん賑やかになってきている。対戦校の応援に引けを取ったことなどは、思い出せないほどの昔の話だ。
ベンチ入りがかなわなかった野球部員、現役生、OB、吹奏楽団、これに野球部の保護者会が加わる。お母様方の黄色い声援が、本来なら野太い男の声だけの応援に花を添えている。
野球部の保護者会では選手のリストを配ったり、飲み物を配ったり、応援用のウチワやメガホンも準備したりと大忙し。頭が下がる思いだ。
観戦に訪れるOBは大学生ぐらいの若手OBが多いが、30~40代の姿もちらほら。野球部OBかと思えば、仕事を抜けてきた人もいたようだ。そして、還暦をとうに越えた昭和30年代卒も一大勢力で駆けつける。
昭和30年代の海城は強く、甲子園に片手がかかったこともある。ベスト4を争う試合で1点勝ち越していたときのこと。薄暮コールドになりそうな8回裏。ゆっくりと試合を運べば勝ちが転がり込むと思われたが、顧問の河原先生がそれを許さなかった。時間をつぶして得た勝利に意味はない、と。かくして9回に進んだところ、真っ暗になってしまい、守備を乱した海城が逆転を許しゲームセット。
そのころを知るOBには、いつか海城の校歌を甲子園で歌いたいと現実味を持って語る人が多い。
徳光和夫海原会会長(昭和34年卒)もそんな強い海城を知る一人。徹夜の仕事明けでお疲れ気味だったそうだが駆けつけた。海城球児の勇姿を見たら疲れも吹き飛んだとのこと。
「まだまだこれからだー!」
「よし、反撃ののろしがあがった!」
とさすがの美声で選手を鼓舞。
徳光会長自身、最初は野球部に所属していた。一年の夏に病気をして野球の道は断念せざるを得なかったが、心機一転昼休みに落語で皆を笑わせることとなった。それが現在のアナウンサー業に続くのだから人生は分からない。
分からないといえば今回の試合ほど分からないものはなかった。九回表に1安打12四死球で大逆転など誰が想像しただろう。ドキドキしたというのは全員一致の感想で、胃が痛いとか心臓が痛いなどとうめく大先輩もちらほら。そんなことを言われると試合だけでなくそっちも心配になってくる。
9回裏を抑え投手がピシャリと締めるとようやく緊張から解き放たれて誰彼ともなく徳光会長と握手を交わした。
次戦は7月11日(土)10:00~神宮第二球場での國學院高校戦。2012年では2対17の五回コールドを喫した相手だ。捲土重来!乾坤一擲!海城ナインの活躍に期待しよう!
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。