クラブ・委員会ひろば

窪島誠一郎氏 10時間マラソン講演 初日(第一部)
投稿者:杉山紘千佳(昭和36年卒)
2014年11月29日(土)

窪島誠一郎氏 10時間マラソン講演 初日(第一部)
キッド・アイラック・アート・ホール

写真 文 杉山紘千佳

昭和35年卒業、直木賞作家の水上勉を父に持つ窪島誠一郎(旧姓水上凌)氏の講演会が、去る11月8日(土)・11月9日(日)にて行われた。窪島氏が運営する「キッド・アイラック・アート・ホール」50周年を記念して開催されたこの講演会は合計10時間にもおよび、「10時間マラソン講演」と銘打たれた。

初日は海原会関係では私一人の参加となった。午後2時よりスタート。
氏は水上勉、益子の子として昭和16年9月20日、東京の東中野で産声を上げた。由あって2才の時、現在の明治大学和泉校舎の前で靴屋を営んでいた窪島茂、はつ夫婦の養子となり、現在に至っている。
松原小学校、梅丘中学校、海城高校で学んだ窪島氏。海城時代は、当初美術部に入り、顧問はのちに画家として世界的に活躍された利根山光人先生だった。利根山先生が海城を去ったあとは文芸部に移り、浜尾甫先生にお世話になった。
海城高校を卒業後は渋谷の東亜縫製(株)に就職。3年後の昭和38年11月に退職し、幼少のころから育った場所、明大前にスナック「塔」を開業。一時はチェーン店が5店舗になり、今は鵠沼の柳小路に一店舗だけ残っている。明大前のスナック「塔」は昭和39年11月に現在の「キッド・アイラック・アート・ホール」として再スタートした。名称は喜怒哀楽をパクッたのだという。ちょうどそのころ、昭和39年10月東京オリンピックが開催され、氏は観衆に「おにぎり」を売りまくり儲けたという。そのときの関係者の1人が現在の奥様になったそうだ。
ホールは当初美術を目的としてスタートしたが、その後フリージャズが主体となり、氏の話の中で「坂本龍一」・「日野皓正」・アルフィーの「高見沢俊彦」などの名が挙がった。
その後、演劇関係では「三島由紀夫」・「つかこうへい」・「寺山修司」木枯らし紋次郎でもおなじみの「中村敦夫」などの名前も挙がり、「キッド・アイラック・アート・ホール」は音楽・演劇・美術の登竜門となった。今回の講演には中村敦夫氏が応援に駆けつけ、講演終了後、関係者と共々50周年の乾杯をした。
講演は午後6時半に終了。明大前をあとにした。

画像上:「キッド・アイラック・アート・ホール」の入り口風景
画像中:公演中の窪島誠一郎氏と観衆
画像下:マラソン講演目次

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