クラブ・委員会ひろば
旧本館の懐かしい話を肴に
100代生徒会長の小市くん(平成5年卒)が一時帰国したのに合わせて、98代実長の塩田くん(平成3年卒)と94代生徒会長の国井(昭和62年卒)で渋谷に集まりました。高校時代は文化祭実行委員会(以下文実)や生徒会で活動していた3人です。
我々3人の自慢はギリギリで昔の海城の本館を知っていること。
本館は軍艦赤城の材料でできている、と聞いたことがあります。ワシントン海軍軍縮条約締結により八八艦隊の巡洋戦艦として建造中だった赤城が航空母艦にされることになり、使わなくなった部材を海城が譲り受けたのだとか。歴史の用語であるワシントン海軍軍縮条約がずいぶんと身近に感じたものでした。
文実や生徒会の拠点だった生徒会室は本館の2階にありましたが、本館の解体と2号館の建設の際にはスーパーハウスというプレハブでした。当時は教室の多くも校庭に設置したプレハブでしたが、苦労したという話とプレハブではあったが空調が完備されていてまんざらでもなかったという話と相半ば。昔の海城の教室には冷房なんか無かったですから夏は暑いのなんの。
年月は過ぎ、今秋には123回の海城祭が行われました。いつか「昭和生まれ」なんて言われるんだろうなーなどとぼやきつつ、125周年に向け後輩たちがさらに母校を盛り上げてくれることを信じ、散会となりました。
画像上:渋谷の秋月にて
画像下:取り壊し直前のころの本館
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。