クラブ・委員会ひろば
古賀理事長と徳光会長の座談(6)
会報「海原」37号で巻頭特集された古賀理事長と徳光会長の座談の全文を10回に分けて掲載いたします。こちらは第6回です。
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徳光
入社したての社員に聞くんです。日本テレビを選んだのはなぜというと大抵は、当たり障りのない「会社の良いところ」を言うだけです。でも、悲しい思い出を2つ言えというと個性が出る。この子の心のウチは豊かなんだなとか、これがこの人の人生の座標軸になってるんだななんてことがわかります。そういたことを経験するのが思春期の最高の時期、今理事長のおっしゃったことは大変に素晴らしいなと思います。
古賀
海城ぐらいの学校なら2つの峰を目指せと言われることがあります。
学力の峰、もうひとつは人間としての峰。今の海城ならできるんじゃないかなと思い目指してます。
徳光
そういった海城のOBが社会のリーダーになれば国が変わるんじゃないですか。
古賀
今はちょっと日本国に厚みがありません。
徳光
自分さえよければという価値観が知らず知らずのうちに人間を作りあげていったんでしょう。他人を思いやる気持ちは中学時代の会話やケンカや高校時代のお喋りで培われます。自分というものを持てるようになる
そして、滑稽なほど自分は大したものだと思うようになるし、つまらない人間だと焦ったりする。
古賀
自分は価値のあるものとおもっていますか、という質問に対し、アメリカ、中国、韓国の高校生の80~90%が自分は価値があると答えますが、日本は30数パーセント。残りは自分がつまんない人間だと思ってる。
これは私が考えるに、ほとんど小さい時からの日本の教育、人格形成にからむ深いものかもしれません。思い出すと学生時代の一番の課題は不得意科目の克服でした。駄目だやれと言われ続ける。でもアメリカとかだと何かできると褒める、まずできることをほめあげる。そうすると、その気になって他もできてきちゃう。日本は数学が苦手だからこれやれ、それがすんだらこっちを手当てしろ。
これは海城も同じでした。やり方を変えた方がいいんじゃないかなと思います。苦手を克服という課題がつぎつぎ来るから自信なくしたんでしょう。
徳光
平均点を取る人間を作りすぎたんですね。テレビ局もそう。
採用した人間の平均点が良いものだから、翌日に総務とか人事になってもいいやつをとっちゃう。昔はものを創る例えば音楽をやりたい人間は政治のことは何も知らなかった。ある意味いびつな育ち方かもしれませんが、そういった人たちの集合体だったからテレビは面白かった。
いまはおしなべて平均点の人たちばかりで、責任回避型人間ばかり。この20年くらいで人間を駄目にしたと思うのは責任の回避ですね。学力的に優秀な人材ほど自分の立場を主張せず、どこかしら逃げ道を作っておいて事に当たる。客観的な自分がいるんでしょうね。案の定バラエティばっかりになった。良い番組を見せるんでなくて、視聴者がテレビを点けてれば良い、点けっぱなしを目指している。こういう連中、頭良いけど、こういう連中が台頭してつまんなくなった。リスクを背負いたくないんだな。
(続く)
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。