クラブ・委員会ひろば
古賀理事長と徳光会長の座談(5)
会報「海原」37号で巻頭特集された古賀理事長と徳光会長の座談の全文を10回に分けて掲載いたします。こちらは第5回です。
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〈海城が中1に実施しているプロジェクロアドベンチャーの説明を受けて…〉
徳光
そういったことを中学から工夫してやっているというのは良いですね。
中学でバラバラだと仲間との言葉を失ってコミュニケートができいまま大人になってしまう。ある意味時代を象徴とは言わなくても陰の部分を作っているのではないでしょうか。理事長のいうことはよくわかります。コミュニケーションの大切さいまさらながら感じています。
今さらなのかも知りませんが海原会長仰せつかり合議する中で、人は会話で成り立つということが身に染みています。コミュニケーションは顔見てナンボです。相手の表情でわかる声のニュアンスでわかる。お医者さんだってカルテばかり見て、患者の顔見ないでオシマイじゃだめでしょう。中学高校一貫した教育で仲間同士の会話を持つ言葉を持つことは一番大切それがそのまま海原会につながるといいな
古賀
人のことがわかる、微妙なことが分かる。それともうひとつドラマエデュケーションというものを高1でやっています。ドラマの一場面を自分たちで演ずる。静止画で。それでお互いの立場とかいろんなものを解き明かしていくんです。それこそソリューションです。
徳光
テレビ局の入社試験みたいな事をやっているのですね
古賀
そういうのを経験して育ってくる子は違うものを持ってるんじゃないかなと思います。
徳光
感性が一番磨かれるのは中・高から20才ぐらいまででしょう。そういう取り組みは良いですね。
古賀
中学に入る入学試験は学力しか見ない。色々な能力を持ってるはずなのに学力しか見ない。残念ながら海城もそう。それしかやりようがない。
今のやり方なら徳光さんも私も海城には入れない(笑)。でも僕らは良いもの持ってるんですよみんな。当時の方が優れた人たちがいたんではないでしょうか。人間全体でいったら今の子に負けてない。素晴らしい人が出ているじゃないですか。
徳光
いい人はいっぱいいました。入学した当時は。
都立落っこちちゃって男だけの学校に…。お先真っ暗、女子高生のいない切なさ。でも、卒業時にこんないい絆、友情がうまれたのかとかと感じた。そのことは長続きするんですよね。勉強も詰め込みではなかった。良い教育者はいた。このことは大人になって再認識しました。どの先生も個性があった。いまもそうでしょうけど。
何がよかったかというと、駄弁ったことかもしれません。川村学園のことも、つまらないことも。マラソンで女子学習院と川村の校門の前ではいいトコ見せようと徒競走になったり、私は女子を見定めるためにひたすら徐行でしたが…。
良い会話があったなと思います。昨今は会話が欠落してますよ。自分一人の世界で完結してしまう事を覚えてしまう。小学校前から。そのまま思春期を迎えると無駄な思春期になります。思春こそ喜びも悲しみもある。ふと気づいたら悲しみの主人公。
古賀
悲しみと挫折は大事です。
そういう意味では私たちは堂々と言えますね。
(続く)
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。