同期会・同窓会ひろば
36会の良さは「融通無碍なるところ」にあり
6月初旬の某日、36会の総会を母校で開催した時の話。この日の出席は27人。「36会の良さは融通無碍にある」と瀧本会長(書記も兼ねております)が言うように、この会は運営のみならず、同人諸兄の生き方も融通無碍。以下は総会後に海原会総会に合流。懇親会に続く2次会を通して垣間見たその一端を紹介するレポート―
ハワイから参じた立花幹史郎君。若き日、ハワイに渡り事業を成功させますが、まだホノルルのホテルでポーターをしていた頃のこと。当時、やはり一念発起、アメリカに夢を託した重武茂任君(副会長)が途中、たまたまホノルルに降りて立ち寄ったホテルのロビーで耳にしたのが「タチバナ」の日本語。「ひょっとしたら?」とフロントに確認、案の定、本人だった。その日は夜を徹して語り合ったそうですが、海外渡航が稀な時代、その生き方は「人生、予定調和じゃつまらねえ」と語っているようです。
重武君もその後、東京で事業を立上げています。念のため。
盛岡在住の木下紘君は長年、建設会社を率いて岩手の建設業発展に尽力した。その功で昨年、皇居宝鳳殿で天皇ご夫妻の面前で旭日小綬章を受けた由。建設業界というといささか荒っぽく、キナ臭いにおいもしないではありませんが、そこで“辣腕”を振るったといいますから、一線を退いた今もどこか豪快なのは、その名残りかもしれません。
父方は「鎌倉殿の13人」で知られる鎌倉幕府の御家人和田義盛直系の子孫だそうで、豪快なのは血筋かもしれません。
36会には高杉晋作の末裔高杉春正君も在籍。時をこえて歴史を彩った人物の子孫が、高校の同窓会で顔を合わせるのもおもしろい奇遇です。
元日大芸術学部デザイン学科教授で視覚言語が専門の中島忠家君は「絵言葉は世界を結ぶ」を信条にピクトグラムの第一人者です。プロフェッサーに事務局をお願いするのは恐縮ですが、「声をかければ30人近くの同級生が顔を見せてくれる。この年齢でこうした集まりは大事だね」と中島君。資料作りに見せる緻密さはさすがデザイナーの感性。余人の及ぶところではありません。
「体にいいことは何でもやっている」と家庭菜園で多くの野菜を栽培する杉山紘千佳君(副会長)。今は珪素が元気の源とか。家庭菜園に励むのは金子宣男君も同じ。昨年、軽い脳梗塞を経験した。幸い後遺症はなかったが、「指先がしびれコップを口い運べない。しびれには要注意」。何かしら覚えがある一同、思わずビールの手が止まりました。それはともかく第二の人生を田園(そうともいえないか)に生きる選択は羨ましい限り。
四谷での2次会にも18人が参加し盛り上がったのはいつもの通り。夜も更ける頃、「次も誰一人欠けることなく元気な顔を見せてくれよ」との重武君の言葉を胸に散会。以上、2カ月前の話で気が引けますが、36会メンバーの今なお健在なところを伝えたく投稿した次第。他の諸兄の「融通無碍ぶり」はまたの機会に。
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リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。