同期会・同窓会ひろば
「信」なくば「信」たたず?
いったいに36会(昭和36年卒)には「異能の人」が揃い、例会では毎回、出席者が傾聴する「人生のうんちく」が語られることが多い。海原会の総会(6月8日)に合わせ、母校で開かれた今年の36会総会もそうでした。いささか長くなることをお許し願って、以下に紹介します。
まず会長の山田雅康君が中国の古典「呻吟語」を引用し「人間50年も60年も生きていると『処世の術』も身につく」と指摘。しかし中国の先達は、私たちが経験で学んだ智恵よりはるかに深い意味を持つ「生きる指針」を残している。その解釈は人によりけりですが、この場合、自分なりの経験で人生や人間が分かったつもりでも、漫然と年齢を重ねただけでは「生きる真髄」はつかめないということのようです。そこから山田君は「(年齢に関係なく)常に問題意識を持ち、意欲を持ってコトに向かわなければ、何も身につかない」と言うのでしょう。つまりは「馬齢を重ねて酔生夢死では寂しい。年をくっても日々、惰性に流れないようにしたいね」という次第す。
次いで36会のイベント部長、齋藤邦雄君。齋藤君は地元の老人会を引っ張るなど地域活動に熱心で、この日はよくお年寄りに話す言葉として「信」を引き合いに「『信』を分解すると『人に言う』です」と切り出し、こう続けました。「大事なのは、老人会のボーリング大会でも『今日は○○のアベレージを達成する』と周りに宣言する。そしてそれを実現するため最大限の努力をすることです。結果、目標を達成すれば、『大口を叩いたな』と言っていた周囲も納得し、『やる時はやるじゃないか』と宣言したお年寄りへの信用につながり、当の本人の自信にもなるはずです」
年齢がかさむと、とかく「それは無理だろう」「そこまでやることはない」と腰が引ける。そこを敢えて「オレはやるぞ」と公言することでメンタルの活力が生まれ、目標達成で周囲の信頼も確保できる。言うなれば「『信』なくば『信』たたず」というわけで、これも含蓄のある話でした。
この日の36会総会には28人が参加。9月19,20の両日、伊豆方面へ一泊旅行に繰り出すことや、77歳を迎えるのを記念して近く喜寿の会を開くこと。今年1月に実施、好評だった明治神宮参拝を来年も行うことなど、当面の活動を決めました。今回も遠路、盛岡市から木下紘君が参加。同君によると昨年の台風の影響で被災地の復興もまだ時間がかかる由。36会は震災の年の秋、有志が被災地を訪れ「遅れてきた修学旅行」を果たしましたが(遺憾ながら36会には修学旅行がなかったのです)、再度、現地を訪問、人々を励ます企画も検討することになりました。
最後に副会長の重武茂任君が「28人の参加は、海原会総会の全参加者の1割です。数が問題ではないにしても、それだけ私たちが元気である証拠でもある。この勢いでまだまだ頑張れることを示そう」と挨拶し、ひとまず36会の総会を終了。引き続き海原会総会に場を移しました。
ついでながら海原会総会後、まだ宵の内の四谷方面に足を向けた「つわもの」が10人以上いたことを報告しておきます。
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。