同期会・同窓会ひろば
「女房は大事にせなあかん」に一同、納得
春惜しむ……と漱石が詠んだ4月下旬の23日夕、36会(昭和36年卒業)の定例会合が開かれました。いつもの通り同人の赤石浩君の骨折りで、新宿四谷の長崎県産業支援センターを会場とし、幹事や世話役12人が参加。6月開催の海原会総会に合わせ開かれる恒例の36会総会に向け打ち合わせをするのが名目ですが、予定通り会合を終えた後はこれまたいつもの通り各自持参の酒肴を広げての俄か宴会、談論風発の近況報告となりました。この大らかさ、自由さは36会のいいところです。
関西在住の同人たちも時を同じくして大阪で会合を持ったそうで(林昭策君も東京から顔を出した由)、「みな達者だ」と一同、改めて元気を得た表情。宴もたけなわの頃、会長の山田雅康君が「ちょっと聞いてくれないか」と切り出した。それによると最近、奥さんが急に入院するという思いがけない体験をしたとのこと。家庭のことは任せっきりだった山田君は途方に暮れたそうですが、幸い娘さんの手助けもあり何とかピンチを凌いだと言います。そこで一言、「みんな、女房は大事にしないといかんよ」。
自分が入院することはあっても、若い女房が入院する逆転現象があり得るとは、誰も考えないもの(あるいは考えたくないもの)。同人諸子、「女房の有難さに感謝しなければ……」と改めて肝に銘じた次第です。
今回、久し振りに出席したのが回向院住職の本多義敬君(24世)。「みんなの目が生き生きしているのに驚いた」との感想でした。これは二次会でのことですが、その本多君、「仏飯をいただいている者として、今、自分がここにあるのは、仏様や檀家信徒の皆さん、ご先祖、そして社会や周囲の人に支えられているお蔭だとしみじみ感じる」と話していました。自分は自分だと人は思いがちです。確かに人には様々な生き方があっていい。ただ、一人の人間の背景には時間的にも空間的にも多くの人と人の繋がりや命の積み重ね(少々、堅苦しいことをご容赦)がある。そのことを常に意識しないといけないという意味でしょうか。長年、仏門に生きてきた本多君の話は、同人の胸に染み入りました。
ところで冒頭の「春惜しむ……」の漱石の句は「春惜しむ人にしきりに訪われけり」が完成形です。次回の再会は6月。初夏の候で季節は良し。一人でも多く同人に声をかけ、大いに参加者を募って元気な再会を果たそうと散会しました。
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。