同期会・同窓会ひろば
【平成11年卒】(レポート)呉座勇一君の「ゴロウデラックス」出演
先日、本ひろばにて告知しましたが、去る5月11日(木)深夜、私の同級生で『応仁の乱-戦国時代を生んだ大乱』(中公新書、900円+税)の著者である呉座勇一君(平成11年卒)が、元SMAPの稲垣吾郎さんがMCを務めるバラエティー番組「ゴロウデラックス」(TBS系列)に出演しました。
「中世日本史研究の第一人者」としてスタジオに登場した呉座君は、冒頭に「なぜここまで売れたと思いますか?」と問われると、「応仁の乱にはスターがいないが、それが受けたのではないか」と回答。「映画『シン・ゴジラ』の前半では、登場人物が慌てふためいているうちに事態が深刻になっていったが、応仁の乱はそれと似たようなものだ」と、応仁の乱のイメージを、昨年のヒット映画にたとえてわかりやすく説明しました。
次に、応仁の乱が勃発した原因について説明。この中で呉座君は「将軍足利義政から謀反の疑惑をかけられた弟義視は、幕府の実力者であった細川勝元と山名宗全、とりわけ勝元に助けを求めた。勝元の奔走の結果、義視の疑惑は根拠のないものと判明したが、この結果勝元は幕府の実権を握ることとなった。それが面白くない宗全は、当時家督を巡って畠山政長と対立していた畠山義就を京都に呼び寄せた。これがきっかけとして、各地の大名が東西に入り混じって大乱となった」と説明。「『シン・ゴジラ』で言えば、義就はゴジラのようなもの。それまで河内(大阪)や大和(奈良)で暴れ回っていたが、宗全に呼び寄せられて京都に上洛し、暴れ始めた」と説明しました。
続けて、「宗全と勝元は舅婿の関係で、畠山の問題がなければ仲直りできる間柄。実際、戦を終わらせようと話し合いをしていた」と説明。「でも、義就は戦をやめなかった。彼には失うものはなく、応仁の乱は家督を取るための大きなチャンスだった。乱後、義就は河内に戻り、独立王国を打ち立てた。ゴジラが京都から大阪に移動したようなものだ」。説明を聞いていた稲垣さんは、「義就はシャアですね。戦好きなのですね」と、わかりやすいたとえをしていました。
最後に、応仁の乱が残した影響について説明。それまで、地方に地盤を持っていた大名は京都に住んでいたが、乱後は、地方に戻って独自の勢力を築き始めたと説明しました。
一連の説明終了後、稲垣さんは「面白かった」と感想を述べました。そして、「応仁の乱を映画化する場合、私はどの武将になりますか?」と質問。呉座君は、「勝元ですかね。彼はマルチタレントにたとえることができる。また、自らの得のために動くのではなく、人の言うことを馬鹿正直に聞いて損をするタイプです」と回答すると、稲垣さんは「君に私の何がわかるのか」とキレ気味に叫んでいました。
最後に、ADの山田親太朗さん(モデルの山田優さんの弟)が、広告にも使われた、呉座君が腕組みをしている写真をかたどった印鑑を披露。呉座君は「人間誰しも取り柄があるのですね」と発言していました。
放送終了後、投稿者(齊藤)が呉座君に出演の感想を聞いたところ、「稲垣さんにはスターのオーラがあり、最初は緊張してしまったが、偉ぶらない気さくな方だったので、だんだん緊張が解けて楽しくトークができた。サインも快く書いてくれて嬉しかった」と語っていました。
応仁の乱は、35万部を超えるベストセラーとなっております。同窓生の皆様、本書に興味を持たれた方は、ぜひ書店に行かれて、本書をお買い上げいただきますと幸いです。
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。