同期会・同窓会ひろば
青葉益輝を悼む
33会の石原さんから一報をいただき、すぐさま新聞で確認し訃報に接した。
7月9日 食道がんで死去。71歳、早い!
彼は近年、海城出身者としては傑出した人物の一人だと思う。
トネさんの奥さん(故利根山光人夫人)に報告した。びっくりしていた。
≪あの子は賞を貰うたんびに、知らせに来るのよ≫
そう言えば数年前居合わせたときに、紫綬褒章内定の報告に来たことを覚えている。又、自分のポスターをアトリエに貼って帰っていたこともあった。
思い出した。トネさんの記念館、作品展の案内状、ポスターなど手掛けていたこと。彼は元海城美術教師の利根山先生に育まれたことは事実だ。
青葉益輝ほどグラフィックデザイナーとして、世界中の「賞」を総なめにした人物はほかに居ないのではないか。朝日広告賞、毎日広告奨励賞だとか、日本宣伝賞、ニューヨーク、フランス、ワルシャワ、フィンランドなどのビエンナーレ展グランプリ。きりがない。その数20以上。
かつてトネさんが「日本芸術大賞」の受賞理由は≪活力ある文明批評を内蔵した幅広い造形活動に対して・・・≫と言うものだった。
青葉益輝は社会派デザイナーと呼ばれるのは、トネさんの影響を充分受けている。この感動の中身は疑いもなく、美術と社会に関わりについての開眼に他ならないだろう。彼のアイデアとウイットに富んだ、研ぎ澄まされた作品には見応えがある。
青葉益輝は母校海城に絵画作品を数点寄贈している。これらの作品は3号館(那須海城)に展示してある。そして校庭にモニュメントの制作依頼があったとか。それも未遂に終わったことが悔やまれる。彼の功績は忘れてはならない。合掌。
写真説明 上 広島市民にpeace文字をびっしり書いて平和アピール
ご機嫌の青葉氏
中 鉄砲の先がひん曲がってハートの形、「the end」
戦争は終わり
下 海城に寄贈作品、愉快な顔達が飛んだり跳ねたり
元気で行こう
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。